祈り




 僕が住むアパート<美空荘>の玄関スペースに設置されている郵便受けに投函された葉書をちらりと見て破り捨ててからその内容を脳に格納された画像イメージから読み取り、慌ててミスタードーナツのゴミ箱からそれを取り出し狼狽した。出会い系と呼ばれるそれに心当たりがなきにしもあらず、狼狽する僕は狼狽した頭で葉書に記された番号をプッシュした。身体全体で狼狽しながらも一方で冷静な僕は番号の先頭に184を付けることを忘れない。とにかく無料ポイントをオーバーした覚えはないということを伝えなくてはならないのだ。
 しかし担当の対応は南米の黄色い鳥とは関わりを持ちたくないの一点張りであったので僕は更に重ねて狼狽することになる。ああ、困った困った。と僕が真っ二つに引き裂かれた葉書を手に思案しているとき、隣町では山火事が激化し住民たちに避難勧告が出されていた。僕は部屋に寝転んでの〜りろ〜んと困りながらもそれを察知する。隣町に住む佐々木睦美の助けを求める声を聞き分ける。
 そうだ、僕はこんなところで妙な架空請求について思案している場合ではなくて、たとえ忘れたつもりになっていてもやはり一度は愛した人である佐々木睦美を助けなければならない。けれど、どうやって?

 そこで僕は祈る。祈りは愛だ。愛は地球を救うことはできないが、佐々木睦美を救うことならできる。僕はまさにこの身弾けよと言わんばかりに祈り、愛す。部屋の窓から、雲をも薄赤く染める炎に向かい、祈る。
 その結果、佐々木睦美は間一髪で川の中に飛び込み助かったが、全ての力を祈りという形で出し尽くしてしまった僕はその場に気絶し眠り眠り眠り続け気が付くと5年が経過していて佐々木睦美には子供が3人いる。僕はそれを知り、再び眠りの中へと逃げ込むが今度は5年どころか3日しか経たなくて、代わりに僕は裸にされた僕の体を看護婦さんが濡れタオルで拭いているときにちょうど目を覚ましラッキーと思う。

 「今って、何年の何月の何日?」と僕が訊くと看護婦さんは突然の僕の目覚めに驚きながらも間髪入れずに「2005年の4月14日ですよ」と答える。その問答のタイミングがひどく気に入った僕は介護用ベッドから勢いよく飛び起きるとカーテンをびちびちびちと引きちぎり、即席の服をあつらえる。その作業の合間に、看護婦さんの名札を盗み見ることも忘れない。木村楓さん。よし、大丈夫。五年と三日眠りっぱなしだったけれど、僕のモータはすんばらしいトルクと加速度で今にも水面を沈むことなく走れちゃいそうだ。
 「何処へ行くんですか?」と楓さんが尋ねるが僕は答えない。僕の頭の中ではあらゆる推量があらゆる道筋であらゆる結論をあらゆる方法であらゆる検討している。

 山火事は大文字焼きに通じる。大文字焼きといえば京都だ。京都が燃やされることは天皇が悪意にさらされる、つまりこの国が攻撃されることを示す。そして佐々木睦美と三人の子供である陸、海、空。そう、戦いは既に始まってしまっているのだ。五年と三日前に起こった山火事の時点で食い止めておくべきだったが、眠り眠り眠ってしまったものは仕方がない。僕はとにかく、第三次世界大戦が勃発するまでのあと五十三日以内に、山火事を起こした犯人を捕まえなければならない。でもどうやって?
 考えろ考えるんだ。五年と三日のブランクなんて関係ない。すり切れろ僕の回路。と、そこでほわひんと優しい香りに包まれる。楓さんが僕の頭を抱きかかえていた。

 何をするんだ僕は考えて考えて考えて山火事の犯人を捕まえて耳を引き千切る眼球を取り出す臓物を食させる等拷問して第三次世界大戦を防ぐ方法を聞き出さなきゃいけないんだと言おうとするけれど呼吸をするたび眼球の裏側をくるぐるような甘い香りに僕はどうでもよくなってしまう。違う違う! どうでもよくなんかない! ああ、でも、すごい匂いだ。完璧だ。僕はもう力が入らなくて、頭を振って楓さんの右腕と左腕と胸から逃げることもできなくてそこでようやく楓さんが犯人だということに気付く。なんて愚かな僕。阿呆! 馬鹿! 間抜け!
 でももうどうしようもないので僕はせめて祈ることにする。この国を、地球を、世界を、砂場に混じったBB弾から氷付けのまま発見されたマンモスまで、体中の細胞一つ一つから、全てのものを愛する。愛は祈りだ。僕は愛する。完璧な匂いの完璧な楓さんの完璧な胸に完璧に抱かれながらも僕は佐々木睦美の旦那さえも愛してみせる。そうすることで世界を救ってみせる。
 燃える決意の中、僕は気力を振り絞り最後まで戦い抜くため、とにかく楓さんの胸の中で目一杯息を吸い込んだ。