ニラゴムソール バイバイ




 やっとの思いで、気持ち楽になった足取りで先輩の家を出るとき、一段下がった玄関の三和土に置いてある僕のコンバースのスニーカーに、昨日玄関先の道路に撒き散らした吐瀉物が少し飛び散っていて、くすんだ白いゴムソールにへばり付いていたニラを屈んで指で弾き飛ばしたとき、僕は一瞬、死のうかなと思ったんだけれど、そう思った自分に気付いた違う僕は、にやりと笑った。
 「にやり?」と先輩が言った。
 「うん、にやり」と僕が言った。

 片足立ちでカカトをスニーカーに捻じ込みながら、僕はケンケンで玄関を出た。外はとっぷり暗くて、でも星はほとんど見えなかった。心地良い温度の空気がふるりと袖から入り込み、ふやけた頭が少しだけクリアになるのを感じた。
 「ほなお疲れっすー」と僕が言った。
 「んー、ありがとう。気ぃ付けてー」と先輩が言った。
 塀の脇に止めておいた自転車の前カゴに鞄を突っ込むと、大地に溜まった謎の力が僕の身体を通して噴出するかのような、自分でも信じられない欠伸が出た。ふと玄関を見るとまだそこには先輩がいて、バイバイ、と手で言った。上げた片手を空気でも揉むかのように動かすその仕草は、僕のお気に入りで、色んなところで真似をしているんだけれども、それを先輩は知らない。

 鍵を開け、スタンドを蹴り上げて、ペダルに力を込めた。空気が急に冷たく感じられる。時間を見ようと思い携帯を取り出したけれど、電源が切れていた。三十分ほど前、半身を廊下に投げ出す形でフローリングに倒れている自分を発見したのが午前一時半だったから、たぶん二時過ぎといったところだろう。明日は十時からバイトがある、帰ったらすぐに眠らなくちゃならない。なんとなく僕は自転車を止めて、来た道を振り返った。田んぼを二つ挟んで先輩の家と灯りの漏れる窓が見えた。もう玄関に先輩の影が無いのを確認して、約八時間ぶりの煙草に火を付けた。酒と嘔吐で灼け痛む喉を、煙が突き刺しながら通る。再びペダルを漕ぎ出し、明日の方向を見ながら「おやすみなさい」と小さく口に出して言ってみた。ああ、そうか。自分は今、酔っぱらっている。思考が、行動が、全てが思った以上に演技臭くて、違う僕はまた、にやりと笑った。