8月10日(Tue)

 やりたいことがある。それは「できる」タイプの事柄だ。時間がない、というのがとても出来た言い訳だと知っている。時間が足りないわけはない。朝の九時から十六時までマクドで働いて、そこから荷物だけ家に置いて地元の盆踊りに中学時代の人たちと集合して、最後の花火が終わったらオークワに酒を買いに行って、友達の一人の家で飲んで飲んで、明け方にラーメンを食いに行き、食ったものをすべて吐き出して、自転車でこけて、一眠りして起きたら昼で、いつの間にか人数は半分以下になっていて、誰かがゲームで大量虐殺をしてるのを開かない目でぼんやり見て、気が付いたら時間だったので、家に帰ってシャワーを浴びるだけのこともできずに頭痛と吐き気にムチを打ち、バイトに向かう。また十五時から二十四時まで働く。疲れて、眠る。それだってさあ!なあ!違うだろ!違うんだろ!そんなわけなんてねぇんだろ!おれら可哀想なんかじゃないだろ!そんな目すんな。


 七日。バイト。 八日。バイトして祭りに行って泊まる。 九日。起きてバイトに行く。

 毎年恒例化している、地元での盆踊り後のお泊り会。今回はちょっと激しかった。男七人くらい。合計したら、酒とツマミに一万弱のお買物。いいちこをパックで買ってみたり。でもそれだって大したことではなかった。

 文字通り煙たがられてる俺は、ベランダでグリーンラベルを灰皿にしていて、隣りに座った貰い煙草の西川と、ニコチンの量について、メンソールが性欲に及ぼす影響について、一日のオナニーの回数について、ノーブラという単語から連想する個々の思い出について語っていた。必要より少しだけ多いニコチンを吸収した俺は、部屋に戻った。橋本が青木らに、一月前に起きた大学のテニスサークルでの恋愛ドタバタ劇について話していた。「俺あっかんわー、ほんまこんな恋愛ばっかやわ」その一言で、俺は気付き始めていた。今日はたぶん女の話がメインになるんだろうな、と。腹なんてくくる必要はなかった。酒に呑まれているときに、腹なんてくくれるわけがない。

 少し前に松尾宅に泊まったとき、俺は松尾と駒井の彼女と、寝てるその彼氏に言った。「いや、俺なんかもうあれやで、秘密ばっかやで。隠し事ばっかり。死ぬほど隠しまくってるもん。ほんなもんほら隠して隠して誤魔化してーって・・・」松尾と駒井は、隠し事なんかないと言った。「隠す必要なんかないもん」と。必要があるわけじゃない。ならなぜ俺は隠すんだろう。って、そんな自己分析できるわけがない。ただ、たぶん松尾も駒井も、俺の世界の中心に、結構食い込んじゃってるからなんじゃないかなと思った。俺が全部話しちゃったら、こいつらも関係しちゃう。ニュートロンが電気信号を送受するみたいに、ニュータイプが敵を関知するみたいに、俺と、俺の抱える下らないファッキン隠し事と、そいつらが一瞬でも繋がっちゃう。きっとそれを避けようとしたんだと思う。何故避けるか?それこそ、そんなもん知らんがな。最終的には俺がそういうタイプの人間だとしか言い様がない。でもさぁ、そういうタイプの人間って実は多いんだよ。

 中学の友達たちは、みんなバラバラ散り散りになった。一年振りに会う奴もいた。会ったとしても、最近の話はせずに、小学校時代の話なんかで盛り上がっていた。中学の友達と会うときは自分も中学時代まで遡って、そこで時間の流れを止めた自分になってしまおう、高校以後の話をしたらバラバラってことを実感しちゃうからやめとこう、という心理だったんじゃないかと俺は俺を、俺たちを分析した。でもあの夜は違った。俺たちは思う存分、自分の中のなんやかんやを吐き出した。こうして一緒に酒を飲んでいるものの、通常の自分の世界とは別の場所にいる人たちに、だからこそできる話を、こいつらにしか出来ない話をぶちまけた。同情が欲しかったのかもしれない。なんとでも言え。でもあの夜、福井の家での俺たちは、間違いなくステキだった。むちゃくちゃに格好良かった。悲しかった。キモかった。ウサンクサかった。美しいドブネズミ、とまでは行かないけれども。

 「俺の誕生日の、次の日に彼女の携帯から電話あって、でも出たら彼女の親父さんで、事故って死んだって。誕生日の前日に。即死って。全然実感ないねんやん。でもあれやねん、三日ぐらい経ったらもうあかんねん。会えへんくてさ。会いたいから携帯とか持つねんけど、そこでまたそんなんしてもしゃーないって気付いたり、そんなんばっかで。もうおらんってなんやねんそれ、会いたいんじゃぼけーって。きっつかったなー。まあ今もうこんなんやけどさ(笑」

 「初めてデートしたときにな、いきなりノーブラやとか言われてん。つーかさあ、そんなん無理やん。ぶわーなってもうて、なんも言えへんし、苦笑いだけして、そのまま。んでしばらくしたら自然消滅してた」

 「彼氏もさあ、みんなサークル同じやってんやん。んで俺その子の相談役みたいな感じで。一緒に出かけたりもしてんけどな。映画も公園も海遊館も行ったし。その子な、彼氏おるってみんなには隠しててんやん。で、俺告ったら、やっぱり彼氏がどうのこうのって、まあ結果的にはフラれてんけど。次の日には、その子サークルのみんなにあれが彼氏やねんってことむちゃくちゃ言ってた。なんかなーそれがいっちゃんやばかったなー。」

 青木も、西川も、橋本も、すごくよかった。俺には今まで一度も、誰かに自分の恋愛話をして、そんでみんなで頷き合うなんて経験はなかった。すごく身に染みた。特に橋本がつらつらと語った内容が自分の体験とリンクして、俺はコップに注がれたビールを差し出す代わりに、倒れこんできた橋本を力いっぱい抱き締めた。なんかホモみたいだなーと思った。でもそうすることが一番自然だと感じた。

 死別、というシャレにならない話も出た。俺はそういう類の話を全く信じない。でも、このときは違った。「まあ今はもうそんな大丈夫やけどなー」と言う青木は、違った。嘆き悲しんで潰れるでもなく、思い出して鬱になるでもなく、マイペースに布団に広げたノートパソコンで将棋をさしていた。ああ、こいつは違うんだなと思った。受け止めたんだな。俺は、男が女に話す自称「つらい体験談」が、大嫌いだ。適当な脚色で彩りながら、言ってることは結局「同情してくれ、そんでうまいこといったら可哀想な俺と寝てくれ」。それにも気付けない奴ら。本当に世の中から全滅してくれればと思う。青木はもっと酔うべきだと思った。将棋なんか打ってる場合かよ!ここではもっと駄目になっちゃっていいんだよ!グデグデでもいいんだよ!俺たち大丈夫なんだ。

 一通り話が終わった後、俺は急にステキなことを思い付いた。俺はいつだって急にステキなことを思い付くのだ。みんなにビールを注いで、右手に掲げさせ、隣りの西川に聞いた。「ゆうちゃん、名前は?なあ、(みんなを見渡して)名前言おうや」。一瞬空気が凍りついた。が、それもゆうちゃんの一言で掻き消える。「・・・サキ!」ゆうちゃんはやっぱり男前だ。「ユカ!」「ミユキ!」右手が上がっていく。実はこの名前、俺ちゃんと聞いてなかったから、ここに書いてある名前とは全然違うと思うんだけれど、そんなリアリティはどうでもいい。誰かがふざけて「陽子!」と言った。陽子というのは、円陣の後ろで潰れているこの部屋の主である福井の、青春の原因だった人の名だ。ビールを一缶飲み切れずに潰れたこの男が、でも一番ステキなのかも。こいつはアルコールなしでも自分から話を振った。「×××!」俺も名前を叫んで右手を掲げる。右手が揃った。「おっしゃ!」何の号令なのか意味がわからないが、それでも良かった。全部一気飲みしたかったんだけれど、無理だった。恋愛だかどうだかよりも、そのことがなんだか無性に悲しかった。

 午前四時ごろ、二秒寝て三秒起きるというサイクルを繰り返した自分を覚醒させて、みんなで神楽にラーメンを食いに行こうとなった。まともに自転車を漕げているのは青木ぐらいで、あとはみんな半死状態で本能だけで動いていた。一部本能も動いてない人もいたけど。神楽に辿り着き、おいしいラーメンを頼み、すする。俺には食欲はまったくなかったが、周りは結構普通に食ってやがる。本当に気持ち悪いときっていうのは、他人が食事しているところを見るだけでも吐き気をもよおすことができちゃうのだ。とにかくもう吐いてしまいたかった俺は、麺やら白菜やらを無理やり胃に詰め込み、綺麗に掃除された割広の個室で、便器に水を流しながら喉の奥に指を突っ込んで二度、三度と吐いた。まだ温かさすら残っているような気がするラーメンは、何故か丼に盛られていたときとは色が違って不思議だった。初めて訪れた便器に向かって吐くのは、これで何度目だろう。三度目までさかのぼることが出来たが、思えばすべてこの夏休み以内の出来事だった。

 トイレの鏡の中、出涸らしの茶のような中途半端な茶髪がパーマのように絡まって、血色が悪く、少し頬のこけている男の、赤く滲んだ目が俺の目を覗き込んだ。鏡の中の自分に向かい「ピース」と口にしようかと思ったが、やめた。座席に戻ると、西川がニラで麺の見えない丼の中に、唐辛子ペーストの入った小ビンを落下させてニヤつきながら慌てていた。「俺らって最低の客やなー」と自ら口にしてみせた彼は、帰り道で派手に転んで、数ヶ月前の俺自身の怪我を思い出させるような裂傷を負った。大笑い。

 福井の家に帰ると、部屋の主が潰れたまま爆睡していた。そこへ倒れこむ。主がキレる。橋本、藤田、西村が帰った。部屋に残った俺と青木と西川は、そのまま睡魔に従い、主である福井は「下で寝る」と言い残して部屋を去っていった。少し酷いような気もしたが、でも毎回こんな感じだと思い忘れることにした。

 目が覚めると、西川がGTAという何でもやりたい放題のゲームで虐殺劇を演じていた。本体カバーの外されてほぼ壊れかけのPS2は、ちょっとしたことですぐ止まった。そもそも3回に1回ぐらいしか起動しなかった。そうこうしているうちに時間になり、俺と西川は帰路に着く。午後1時で、俺は3時から0時までバイトがあった。ああ、ハードな一日だと思った。失恋話ぶっちゃけ大会なんて、これを書こうと思って初めて思い出したぐらいだ。忘れていたんだ。ああ、なんて素晴らしいことだろう。

 一度しか言わない、なんてケチなことは言わない。けど、あんまり言わないからよく聞いてほしい。
 俺たちは、大丈夫。