シ リ ー ズ ア ラ イ グ マ



 「人にはそれぞれ事情がある。ってことを、本当に、知ってほしいんだよね。つーかずるいんだよほんと、語った奴ばかりがワッショイされちゃってさ。何も言うべきじゃないと黙ってたら何も考えてないと思われて。自分が正しいと思ったことを曲げるつもりはないけど、ちょっと自信なくなるよね。結局、言っちゃった奴が得をしちゃう。まあ当たり前なんだけどさ、言葉にするってのが一番分かりやすいんだから。曲げた意思を、それを悟らせずに伝える一番の方法でもあるのにね。自分以外のことは理解できないって、そりゃもう、言うまでもなく事実なわけじゃない?いや、そんな厭世とか関係無しにさ、だって事実なんだもん、しょうがないよ。理解はできないさ。でも、理解しようとすることはできる。問題があるとすれば、そういうことなんじゃないかな?初めにこの命題を思い付いた人に、たまたま上手い語彙が浮かばなかったんだよ、きっと。義務教育でなまじ国語の成績が良かったから、ちょっと自身つけちゃったんだろうね。」

「とにかく、他人を完全に理解することはできない。こんなことあえて口にするのもオコガマシイよ。知ってるもんだと思ってた。加地さんも言ってただろ?彼女っていうのは"遥か彼方の女"って書くんだ、ってね。だから、だからこそ、他人の事情なんか解るわけがないんだ。あんただって、ほとんど何も知っちゃいない相手に解ったような顔して励まされたかないだろ?言葉にして伝えたところで、理解には遠く及ばない。あんたは彼じゃないし、僕は君ではない。だからね、何が言いたいかって言うと、人にはそれぞれ事情があるんだ。あんたには他人の事情は見えない。誰にも見えないよ、でもそれは確かに在る。わかるだろ?あんたにも事情がある。解ったような顔されたくない、そういう事情が。世にはこびるドキュン達はさ、『こんなきっつい事情は僕だけのもんなんだ僕だけこんな特別なことしちゃってるんだうわぁすっげえなぁってマジ?あんたも?すっげーなあんたも僕に比べても引けを取らないんじゃない?いやーそれにしても僕達すげーなー』とか思いがちなんだけれど、あんたはそうじゃないはずだ。人の事情は本人にしか解らない。それは本人が決めて、本人だけが体験すること。」

「つまり、僕はね、さっきこの檻の前を通ったドキュンカップルがしてたような話を耳にすると、てめぇ知ってんのかよ、そこ歩いてるよれたスーツの中年男に、何も考えてないような無気力学生に、楽しそうに笑いながら見上げてる女の子に、人にどういう事情があんのかてめぇは知っててそれでご立派に上下を比べて判断してくれてんのかよ、あぁ?って、思わず撲殺したくなっちゃうんだよね。具体的に言うと、みぞおちからヘソまで一直線に腹かっさばいて中身を青いポリバケツにぶちまけて、顎を外してそこにバケツの中身を詰め込みながら全部の関節を死なない程度に逆に曲げて、両手両足を大型シュレッダーでじわじわとミンチにしながら頭の頂点から皮を剥いで、色々やった挙句に最後に首を折って終了、ってやりたくなっちゃう。まあ脳内でしかやらないよ、僕そういうの好きじゃないし。とにかくね、言いたいのは、人にはそれぞれ事情があるってこと、それなんだよ。わかるよね?おじさんにも事情があるんでしょう?わかりゃしないよ。でも、事情があるってことを認めることならできる。ね?」

 そこまで言うと、僕は檻の前で悲しい顔をして屈んでいる、藍色のツナギを着た用務員のおじさんを見上げた。相変わらず物悲しい顔をしている。飼ってるハムスターが死んじゃった、みたいな顔だと思った。しばらく経ってもおじさんは何も話そうとしないから、痺れを切らして僕は仕方無しに謝ることに決めた。

 「だからごめんって。カップルにアイスをぶつけたことは謝る。悪かった。でも元はと言えば、あのカップルがあんな話をしてるから、それに、ここがアライグマの檻だと知ってて食いかけのソフトクリームなんか渡したりするから悪いんだ。むしろあれだけで済んだことを誉めてほしいくらいだよ。そうでしょ?もしこれが僕じゃなくてサーベルタイガーとかラプトルだったら、もっと酷いことになってたはずさ。」

 いくら頭の良いって言われているラプトルだって、カップルにソフトクリームをぶつけるような真似はしないと思うけどね。要は説得力の罪悪さ。比べないとどうしようもない、ってそれぐらい解ってる。天秤にかけて思いっきり傾けさせないと、安定を得られないし安心もできない。自分がどれだけ傾いた人間かっていうことを常に自己暗示してないと、ほんとやってられない。ただ、それを外側に出すなって言ってんの。アイスぶつけちゃうぞー。