シ リ ー ズ ア ラ イ グ マ
電車を待つ時間が好きだった。反対側のホームの景色が好きだった。こっち側、むこう側。二本の線路で仕切られた二つの陸地の間に、それ以上の結界のようなものを感じていた。まるで、鏡の向こうに別の世界が透けて見えてしまったような、100年後の世界を見ているような。そんな居心地の悪さと、こっち側の世界の平和加減と、眠気と、目的地での予定とが混ざり合って、なんとも言えない空気を作っていた。 僕が電車を使うのは高校に入ってからのことだった。だいたいは反対側のホームを見つめていた気がする。人間ウォッチング、って言うんだろうか、そんな上等なもんじゃないんだけど、僕は興味津々に反対ホームを観察し続けた。笑う人、寝る人、話す人、座る人、無表情な人、眺める人、考え込む人。そのとき、百人百様なんて嘘っぱちだと気付いた。 僕が数年ぶりに彼女を見つけたのは、そんな観察の日々の中で全くもって偶然だった。始め、彼女はベンチに深く座り込んで、自分の左膝と右膝の中心を見極めようとしているように見えた。声をかけようかとも思ったけれど、なにしろ向こうは100年後の世界なんだよ。五分後とは違う、そう簡単には行かない。僕は、せめて彼女が顔を上げてくれれば、と思った。女声のアナウンス。反対ホームに急行が来た。身じろぎもしない彼女を置いたまま発車する。こっち側のホームに快速が来た。乗り込んだ僕の後ろで自動ドアが閉まる。彼女は最後まで顔を上げなかった。ドアに身体を半分預けた姿勢で彼女を眺めながら、まるで世の中に「おまえがいなくたって大丈夫だぜ」と言われたような気分になった。 プラットホーム隅っこで お前は一人で泣いていた 誰にも気付かれないように 誰にも見つからないように 流した涙は何なのか 騙し騙した自分なのか 人を傷つけた罪なのか 悲しみ背負った罰なのか 今も昔もこれでいいかと 問い詰めてるのに 色褪せていく 日々また強く生きて行こうと 何度思えば 気が済むのだろう (ジャパハリネット/蹴り上げた坂道) 目的地である待ち合わせの駅に着いた僕は、まだ反対側のホームのことを考えていた。というより、そのことで頭が一杯だった溢れ返りそうだった。上着のポケットで、携帯がメールを受信して震えた。ディスプレイを見つめたまましばらくの思考停止。戻りのホームで、列車到着のアナウンスが鳴る。動き出すには、十分な条件だった。 ついさっき眺めていた反対側のホームのベンチで、僕は同じような姿勢をとりながら泣いてみることに挑戦した。でもこういうときに限って泣く理由なんて見当たらないもので。いつもそうだった。顔を上げると、向かいには見慣れないホームが冷たく起立していた。第一、そこには僕がいない。 もう時間だった。遅刻に遅刻で返すわけにはいかない。「そのへんぶらぶらしてるからゆっくりどうぞー」というメールを打って、ベンチから腰を上げた。足元でうまい棒の空き袋が踊っていた。拾い上げて、彼女の座っていたベンチに乗せてみる。『檸檬』のようにうまくは行かなかったけれど、それで納得する他なかった。うまい棒の袋が爆発して、100年後の世界をぶち壊してくれる。 「お前は本当にダメだった 何も解らないフリしてた」 「やがて訪れる失敗に お前は今さら気付いてた」 (BGM:ジャパハリネット/蹴り上げた坂道) - - - - 注釈: 五分後の世界(村上龍) 檸檬(梶井基次郎) |