シ リ ー ズ ア ラ イ グ マ



 幼少の頃から、生死観のようなものは僕の思考、行動、概念、全ての根底にしっかりと居場所を確保していた。
 ある種の鳥は、多種の鳥の巣に産み落とされ、孵るとすぐに他の卵たちを巣から転げ落としてしまうという。その行動は最早、雛鳥の意思とは言えない所でちゃっかり自分の仕事を遂行しちゃったりしているんだと思う。
 そんな感じで。

 誰かが自分のことを殺してくれると思っていた。
 世の中には、凶悪なバット男やチェーンソー男や、あるいは15歳の通り魔か連続怪奇快楽殺人論者がいて、自分はそいつらに殺されるもんなんだと思っていた。
 思い込んでいた。いや、違う。
 今だから言うけれど、それはちょうど16、7の少女が夢見る甘い死のような、到底現実離れした下らない妄想、甘えだったんだろう。
 いつかいつかと待ち侘びていた。

 前方から自転車が走ってくると、もしかしたらいきなり前籠の鞄から銃を取り出して擦れ違いざまに僕の頭を吹き飛ばして走り去ってしまうかも知れないと恐怖した。
 ギリギリの信号を渡るとき、猛スピードの車が曲がってきて、僕の体を走り幅跳び(高飛び)の世界新並に跳ね飛ばしてくれるかも知れないと一人ごちた。
 路駐された車の助手席ウインドウがゆっくりと開いて、グラサンロシア美人にやたらと小さい銃で一発、二発、三発と踊らされるかも知れないと期待した。
 遠くで起こったいざこざで、宙に向けて威嚇射撃された鉛の流線型が、長い距離を越えて僕に命中してくれれば、と泣きそうになった。
 たまたま泊まったペンションで殺人事件に巻き込まれて、たまたま見ちゃいけないものを見てしまい、第二殺人の被害者にされれば、と夢想した。
 通過待ちのホームに並んでいると、誰かが自分の背中を狙っているんじゃないかとそわそわした。
 何かの勘違いや他人の空似で、暗殺されたらなあと憧れた。
 死に顔を練習した。

 圧倒的な物理力に振り回されて駄目になりたかった。
 余りに唐突な事故で不条理に命を奪われて、何もなかったことにしたかった。
 皆に同情やら体裁やら条件反射やらに塗れた涙を流してほしかった。
 それを天国から見守るでもなく、中途半端に途切れてしまいたかった。

 冗談半分だったかも知れないけれど、確かに半分は本気でそう考えていたんだ。
 けれど何も起こらなかった。ナッシング ハップンス。
 今までも、これからも、自分は殺されないだろう。
 なんという絶望か。

 これから、生きて生きて生きて生きて、年をとって弱ってよくわからない名前の病気なんかにかかっちゃって、あるいは寿命で、勝手に死ぬ。
 それだけのこと。が、理解できずに。
 きっと、天命を仰せつかった僕の死神は、運命の人に巡り会ってしまって、自分の任務なんて放り出して遠くの国で二人、あるいは子供と三人、幸せに暮らしているんだろうと思う。
 お幸せに。
 あんたを恨むことにする。