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4月30日(Sat)

 今日は爆弾発言。

 昨年末から年始にかけて撮影してた僕出演の映像作品が、上映会をやるとかでひょこひょこ大阪まで出かけたわけですが。あれほど冷静に見られない、客観視できない映像は初めてで、ものすんごい消耗した。「演技できるねんなー」と何人かに言われたんですが、結局最後まで自分のことが言われてるんだと自覚できなかったのが少し心残り。「フィルム映えする」っていうのは素直に嬉しかったけれど、もうフィルムに映るような機会も無いのでしょうなぁ。それを思うと少しの寂寥。あとマイクとかの関係なんだろうけれど、自分の声がなんだかすごくそれっぽかったのが印象的。なんだこのナルシスト日記は。坂井さん(天使の正体)から「小林君じゃないみたいやった」とのお言葉を頂き、それだけでも生きててよかったナァとニヤけてみる午後11時半。明日の太陽は、きっと黄色くて眩しい。

 年齢=彼女いない歴、「このまま二十歳を迎えて僕は魔法(メラ)を使えるようになるんだ!」と周りに豪語しておる拙者でありますが、実は中三のときに四国二週間だけ彼女がいたことがあると爆弾発言してみます。これも坂井さん(癒しストリームアタック)によるニヤケ心理が成せる技です。ああ。あの時分は誰しもが恋に焦がれ恋するのですが、多分に僕もそれに漏れない少年でした。夏休み、8月半ばのことだったでしょうか。どこかのチャットで意気投合し、時間を決め、そこで落ち合う仲となります。あの時代、奈良の中三は携帯だなんて気の利いたもの持っていません。パソコンも、やっと小中学校の授業に導入され始めた頃だったでしょうか。しかしそれは幸いにも、四国に住まう彼女も同じでした。お互いに繋がり合えているということ、慣れないけれどなんだか楽しいキーボード、ああ、向こう側に人が居るんだなぁという不確かながらもこそばゆいような実感、なんだかわからないけれどむちゃくちゃに嬉しかったのを覚えています。

 九時に待ち合わせ、約一時間半、僕らは時を共有しました。彼女は確か、姉のパソコンを使って接続しているのだと聞いたのを記憶しています。僕も、親の部屋でへこへこと富士通のノートパソコンを使っていました。今だからいくらか客観視もできますが、二人の環境はお世辞にも良いとは言えるものではありませんでした。

 あの頃の心理がよく思い出せないのですが、恐らく、不確定な一時間半の時間では、僕らは満足できなかったんだと思います。三回に一度は、お互いのどちらかが接続できなかったりする。それでも連絡を取る手段なんてなくて、手持ち無沙汰にパソコンをつけたまま歌番組なんか見たりして、怒られて、そういうのが不満だったんだと思います。僕らは、その解決策を知っていました。ただ、前にも言った通り携帯電話なんて無い生活で、それが言い出しにくかっただけであって。それでも彼女は動きました。自宅の電話番号を教えることは、思ったより抵抗がありませんでした。というか、そもそも何も考えていなかったのかも知れません。僕の打った10桁の数字が一行スクロールして、「10時ちょうどにかけるから」という彼女の発言が現れました。彼女の名は、ニシカワ ナギサ。

 つづく。

 下手したら、本当のことをありのままに書くのは初めてです。でもなんだかやってみたくなった。そんな気まぐれなんで、続かないかもねー。




4月29日(Fri)

 少し、価値観が侵されているのを感じる。森博嗣離れが必要。『今池電波聖ゴミマリア』は、ものすんごい大当たりでした。明らかに有害図書だが規制されないのが不思議。バトルロワイヤルを読んでイマイチだなーって思うような人にはお勧めできます。でも女性の方は読まない方がいいかも。痛そうだから。

 ここまで。




4月27日(Wed)

 ああ、約一週間ほど日記を書いてませんでした。が、世の中はさほど変わるわけでもなく、日常ここに見たりという感じではありますが。なにやらJRが事故したとかで、最近は研究室でしかテレビを見ない生活なので、何か知っているというわけではありませんが。今日、帰りに電車でおばちゃん達が「怖いから前の方に行けないわよねぇ」みたいな話をしてましたが、ああやって世間(というものを仮定できたとして)で話題にされているうちが一番安全であるということは自明です。個人的な感触としては、あれでも素晴らしく事故が少ない方だと思っているんですが、実は私の親戚があの事故で・・・なんて話題を振られると気まずいのであまり言えません。交通機関がどれだけ安全保障を叫んだところで、事故等の不条理で乱数的なフラグが、ただの通過点である交通機関等を人生というなんぞよくわからぬもので内包することで無力化してしまうだろうことも、明らかです。もしあの事故が、誰だか乗客のうちの一人を暗殺するためだけに仕組まれたものなのであれば、多少は評価など判断もつきますが、如何せん興味が沸かないので出会い系サイトの写真だけ眺めて癒しを彷徨う電脳空間なのでした。卒験テーマはまだ決まらない。

 感覚基地第一回上映会は、大成功でした。どうも。来月いっぱいくらい、サイトをお休みしようかと、ふと思いついた。

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041:デリカテッセン(お惣菜屋。仏語)

 惣菜屋のカウンター前に立ち試食を薦める娘の表情に、一瞬暗い過去を感じ取り、男は右手に持つ楊枝をほろりと取り落とした。
「あ」
 男が言うが早いか、娘は手に持つ盆をカウンターに置き、男の視界から消えたかと思いきや楊枝を床から拾い上げ、傍らの屑入れに落とすと再び男の眼前に現れた。
「どうぞ」
と言う娘の顔は先程一瞬だけ見えた暗い影など微塵も感じさせない笑顔だったが、男にはまるで強い明かりを見た後の網膜に焼き付いた残像のごとく、その影の縁取りのみが娘の顔にぼんやりと被って見え、思わず惣菜屋の奥、貼り付けられたる値札表へと目を逸らせた。
 どこで植え付けられたイメージか、男には惣菜屋と人の死体とが重なる感覚が自覚できた。全く身に覚えのない心地ではあったが、それが男には確信めいた真実としてはっきりと感じられた。

 ――惣菜屋の根本には、人間の死体が埋まっている。

「お一つ、いかがですか?」
 明るい声に意識が戻された。反射的に娘の顔を見たが、どうやら残像は消え去っていたようだった。それでも何か脅迫めいた観念から、男はとっさに娘の顔を見るまいと視線を通り行く人の列に移した。
 その動作が自分で不自然に感じられ、男は内心しまったと思ったが、そんなもの意にも介さぬといった娘の双眸が視界の端で男を貫いていた。
 男には、そのまま数十分の時間を耐えたような気持ちであったが、実際には数秒にも満たぬ僅かな間であった。娘はこの男がどうにも反応をみせぬと察し、半歩身体を移動させると、再び先程のような笑顔で「いらっしゃいませ。お一ついかがですか」とよく通る声で客を引いた。
 ああ、耐えきったとやや新鮮な空気を吸い込む男は、人の列を見ているような、向かいの店を品定めしているような、中途半端な視点で、しかし真剣そのものの顔つきをした自分の姿を発見した。
 惣菜屋と人の死体とが関係あろうはずがない。娘が刹那に魅せた暗い影も、恐らくはただの光の加減であろう。その娘は、男の斜め後ろで客を引いている。
 あの声。仕草。盆の上に並べられた、惣菜の艶。男は、一刻も早くここから離れねばならぬといった心地と、その抗力のように働くまるで反対の心地とを同時に感じていた。

 と、そこへ男の心地とは全く相反する軽やかな木琴の音が響き、場内アナウンスが何やら催し物の案内を告げた。蜘蛛の糸だ、と男は思った。木琴の音に僅かに心が浮力を得た、今しかないと。
 惣菜屋からゆっくりとした足取りで離れていく男に、「繰り返します」とアナウンスが響く。その後ろでは娘が丁度、配り終え空になった惣菜を、盆の上に継ぎ足そうと店の奥へ入ろうとしているところであった。
 男はじっと足下を見つめ、自分がこちらの方向へ進んでいるのだと自覚しながら、ただひたすらに、娘がこちらをチラリとでも見ることがないよう、必死に祈った。




4月21日(Thu)

 二日/一冊のペース。読みたいって思えるって素晴らしい。「今池電波聖ゴミマリア」というギュンギュンくる題名の本を発見したので読むのが楽しみ。と、政府政策CMに出演できそうなくらい図書館を利用してますが中古で買って読んでない本がちょっとシャレになんないくらい貯まってきたので危機を感じている。こういう場合、かなり気合いを入れないと読む気になれない。だから貯まってんだが。某文化祭で肉まんを売りつける代わりに買ったインストールや、デザインと帯に魅せられて買った無駄に行間の広い本や。正直読まないので誰か買って下さい。肉まんで。無理なら飼って下さい。料理とか覚えるから飼って下さい。数ページしか読めていないが、インストールは、確かに文章の運びや強弱に上手さを感じるのだけれど、どうもそこに頼っている、あるいは偏っているような気がしてしまい、なんか読めない。自分が舞城王太郎や町田康のようなタイプの作家を好んでおる副作用かも知れない。でも、そうであっても、後悔が生まれる程ではない。

 卒研でC言語とC++言語とLINUXと認知心理学を同時にお勉強しているので何が何やら。と同時に、窓を全開のままで寝たことによる喉の痛み、鼻水、くしゃみなどが僕を苦しめているの苦しめさん。クビシメさん。クビシメロマンチストが図書館にあってビックリです。

 心を奪われた登場人物と言えば本多孝好氏のMISSINGに登場するあの彼女ですが、鈴木清剛氏の短編集に出てきたバイト先の女の子も同じくらい心奪ってくれましたよ。題名は失念。鈴木清剛は、読んでいるときは別に普通なのに、読み終わって数ヶ月が経つと、現実のふとした瞬間とリンクして、図らずも思い出させられてしまうところが魅力的です。彼の書く女の子は、何故か触れているときには可愛いな、くらいにしか感じないのに、離れるとすごく心に残っていることを思い知らされる。話が格別リアルだなんてこともないんだけれど、もしかしたら本当のリアリティっていうのは、こういうことなのかも。生まれて初めて女の子にプレゼントしようと思った本が、彼の「ロックンロール・ミシン」でした。その子が被服系の仕事してるからってだけなんだけれど。しかも渡せてないけど。

 ほんと僕は、映画でも本でも自分から情報を集めるということをしないので、まあだからこその楽しみもあるんですが、このロックンロール・ミシン、なんと映画化されているようで。どうして誰も教えてくれないんだ、と不平不満は後を絶ちませんが、お門違いどころか門前払いにて婆の駒。数少ない、映像化を先に見た作品である「けものがれ、俺らの猿と」は書籍版もとても楽しめた。なんなんだ町田康。文学か。いやなんだっていいんだけれど。鳥肌実のイメージが頭から離れなかった。「けものがれ〜」は、音楽にゆらゆら帝国とASA-CHANG&巡礼が参加しているので、勝手にものすごい評価高いのは僕の個人的な好き嫌いですが、個人的な好き嫌い以外での評価ほど胡散臭いものはないのだ婆の駒。GET WILD WITH OUR MONKEY.




4月19日(Tue)

 愛知出版「私の詩大賞 四月」の、入選通知が郵送にて届く。URL。とりあえず今のレベルでは入選止まりのようです。パソコンで印刷したちゃっちい賞状みたいなのも届いたけれど。大賞:該当者無し。優秀賞:三名。佳作:六名。入選:三十名なので、そんなたいしたことないんだろうなー。ネットから応募できるんで、総応募数はかなり多い模様ではあるけれど。とはいえ、今回は短編の詩ではなく、十三編ほどの詩を連ねた詩集の形での評価なので、ちょっとだけ嬉しかったり。まあ何送ったか覚えちゃいないんですけど。なんてこったい。まとめてドバッと十三編掲載されるのは魅力的ですけど、出版社が出版社なんで入金はしないつもりですが。ていうか金払って載ってもしょうがないかやっぱり。残念ながら送ったデータが残ってないので見せることができませんけど、まあだいたいここが欲しがってる雰囲気は掴めた気がする。要するに、ああ恋って素晴らしい、素敵だにゃーだなんてことを言ってりゃいい、と。自分のレベルを見る上でも、毎月コンスタントに送ってみるつもり。でもいつになっても詩が詩として評価されるのって微妙。

 やもを得ず人を殺して、やっばい捕まるがなー、死のうかなーとか考えてる夢を見た。それがまた、今までの人生で一番現実との区別がつかない終わり方してくてちゃったもんだから、四時くらいに起きてどうやって死のうか、あるいはとにかく逃げるだけ逃げてみるか、真剣に悩んでたという笑い話。でも事故より気絶より何よりも、一番死にかけたっていう笑い話。あぶねーあぶねー。死ななくて儲けもん。

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君と僕とで世界を作ろう
子孫なんて残したくないから
君は三毛猫になって
僕はアリクイにでもなろうか

だぁれもいない世界だから
僕らがいるのは ちょとずるい
爆弾を作るよ
三毛猫の君はそれを背負って
二人 最後のシェルターまで旅しよう
あいのりやね

猫の手はライターを握れないから
発火装置はボタンにするね
街から街へ 材料集めながら
最後のシェルターまで旅をしよう

旅の途中 気が変わったって
構やしないんだよ 僕は
アリクイと三毛猫 とにかく二人で
旅ができりゃ それでよかったんだよ

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「薬が変わったからたぶん大丈夫」
とか
そんな報告
そんないらない

あんたが大丈夫とか
辛いとか苦しいとか
そんなん俺知らないから
とりあえず治ってほしいだけ

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中学校の同級生に恋をしたので
次見かけたなら、僕きっと頑張るので
でも僕は何かないと頑張れないので
これ見た女の人は僕にビンタしてください

なんかOLになってたよ
リアルな話、人生で一番綺麗な人を見てしまった
目があったときやばかった
たぶん声なんか聞いちゃった日にゃあ
死ぬわ ていうか、むしろ 殺して

でも名前知らない判らない
ビンタして




4月16日(Sat)

  ← う、うわぁ。

 ほんとだったんだ。

 新風社「あの人に贈りたい詩コンテスト」に「温度差」「暴力太陽」「どないしよ」の三作応募。書籍と属される印刷物に自分の本名を晒してみよう計画はどうやら愛知出版さんから実現してしまうようなので、次はコストなしでの掲載を目指す。せめて紀伊国屋書店くらいには置いてくれる本を。賞金は無理っぽいので、ここらで挫折しそうだけれど。というか本人としては詩のつもりじゃないのに、適当に改行を入れるだけで詩として評価されてしまうっていうのはちょっと微妙なところではあるけれど、原稿用紙換算ではせいぜい15枚が限界量なので短編にすら満たず、応募できないんだから仕方がないか。新風社はダ・ヴィンチを出版している出版社なので少し期待。あれ?受験まであと二ヶ月?わっほーい。単語帳すら購入していませんが、それでも焦りが出てこないもんはしょうがない。これで受かったら面白いから受かります。

 徐々に日記を短くしていこうという計画。