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4月14日(Thu)

 (後記)日記を書いてるうちに小説になった不思議。舞城王太郎、意識しすぎ。


 木曜は丸々、卒研の日です。つまり、やることがない。彼氏彼女の事情の、エンディングが撮りたいです。あと、情熱大陸。大阪教育大学、映画愛好会制作の「アダルトハンター(情熱大陸)」は、ある意味最も心に残っている自主制作映像なので真似したい。僕はだいたい真似することから始まるんだ。経験上、真似ではオリジナリティはそれ程失われない。愛知出版さんから封筒が届きました。代表取締役名は「小林愛知」。ネタか。愛知県とは何の関わりもないようです。ましてや、南米の黄色い鳥とは関わりを持ちたくないそうです。ああ、困った困った。と僕がその水色の封筒を持ち思案しているとき、隣町では山火事が激化し住民たちに避難勧告が出されていた。僕は部屋に寝転んでの〜りろ〜んと困りながらもそれを察知する。隣町に住む佐々木睦美の助けを求める声を聞き分ける。そうだ、僕はこんなところで妙な出版社の代表取締役の名前について思案している場合ではなくて、たとえ忘れたつもりになっていてもやはり一度は愛した人である佐々木睦美を助けなければならない。

 そこで僕は祈る。祈りは愛だ。愛は地球を救うことはできないが、佐々木睦美を救うことならできる。僕はまさにこの身弾けよと言わんばかりに祈り、愛す。部屋の窓から、雲をも薄赤く染める炎に向かい、祈る。その結果、佐々木睦美は間一髪で川の中に飛び込み助かったがそれで全ての力を祈りという形で出し尽くしてしまった僕はその場に気絶し眠り眠り眠り続け気が付くと5年が経過していて、佐々木睦美には子供が3人いる。僕はそれを知り、再び眠りの中に逃げ込むが今度は5年どころか3日しか経たなくて、代わりに僕は裸にされた僕の体を濡れタオルで看護婦さんが拭いているところでちょうど良く目を覚ましラッキーと思う。

 「今って、何年の何月何日?」と僕が訊くと看護婦さんは突然の僕の目覚めに驚きながらも間髪入れずに「2005年の4月14日ですよ」と答える。その問答のタイミングがひどく気に入った僕は介護用ベッドから勢いよく飛び起きるとカーテンをびちびちびちと引きちぎり、即席の服をあつらえる。その作業の合間に、看護婦さんの名札を盗み見ることも忘れない。木村楓さん。よし、大丈夫。五年と三日眠りっぱなしだったけれど僕のモータはすんばらしいトルクと加速度で今にも水面を沈むことなく走れちゃいそうだ。「何処へ行くんですか?」と楓さんが尋ねるが僕は答えない。僕の頭の中ではあらゆる推理があらゆる道筋であらゆる結論をあらゆる方法であらゆる検討していたのだ。

 山火事は大文字焼きに通じる。大文字焼きといえば京都だ。京都が燃やされることは天皇が悪意にさらされる、つまりこの国が攻撃されることを示す。そして佐々木睦美と三人の子供である陸、海、空。そう、戦いは既に始まってしまっているのだ。五年と三日前に起こった山火事の時点で食い止めておくべきだったが、眠り眠り眠ってしまったものは仕方がない。僕はとにかく、第三次世界大戦が勃発するまでのあと27日間以内に、山火事を起こした犯人を捕まえなければならない。でもどうやって?考えろ考えるんだ。五年と三日のブランクなんて関係ない。すり切れろ僕の回路。と、そこでほわひんと優しい香りに包まれる。楓さんが僕の頭を抱きかかえていた。

 何をするんだ僕は考えて考えて考えて山火事の犯人を捕まえて拷問して第三次世界大戦を防ぐ方法を聞き出さなきゃいけないんだと言おうとするけれど呼吸をするたび眼球の裏側をくるぐるような甘い香りに僕はどうでもよくなってしまう。違う違う!どうでもよくなんかない!ああ、でも、すごい匂いだ。完璧だ。僕はもう力が入らなくて、頭を振って楓さんの右腕と左腕と胸から逃げることもできなくてそこでようやく楓さんが犯人だということに気付く。なんて愚かな僕。阿呆!馬鹿!間抜け!でももうどうしようもないので僕はせめて祈ることにする。この国を、地球を、世界を、砂場に混じったBB弾から氷付けのまま発見されたマンモスまで、体中の細胞一つ一つから、全てのものを愛する。愛は祈りだ。僕は愛する。完璧な匂いの完璧な楓さんの完璧な胸に完璧に抱かれながらも僕は佐々木睦美の旦那さえも愛してみせる。そうすることで世界を救ってみせる。燃える決意の中、僕は気力を振り絞り最後まで戦い抜くため、とにかく楓さんの胸の中で目一杯息を吸い込んだ。




4月13日(Wed)

異性やら
虚無感やら
不安やら
人間関係やら

なんだってありだろう
なんだってありうるんだろう

あんたが死んだら
俺の知らない思い出話なんかで
皆があんたのこと
過去形で沈々と思い返してる中

俺だけは
むちゃくちゃに大笑いしてやるよ
あんたを救うため
今世紀最大の大爆笑を披露してやるよ

- - - -

君が恥ずかしそうに歌ったブルーハーツの「君のため」を、まだよく覚えている。
皆が会話を止め、歌に聞き込んでいるのを
もしかして盛り下がっているのかと焦る君を、よく覚えている。

「好きです。大好きです。ごめんなさい。神様よりも、好きです」
の、セリフの部分を
言おうとして
やっぱりやめて
口元だけで呟いたときの君の目線を
よく、覚えている。

あのとき僕は
君が自信を持ってマイクを口元へ近づけることができるよう
やけくそ気味にでもセリフを叫ぶべきだった

でもこの後悔は
今の自分を形作る上で
すごくプラスに働いています。
まあ、なんていうか
よかった。

- - - -

http://www.amnesic.org/
面白すぎてへこむ。




4月11日(Mon)

 今日はテンションが舞い上がっているので研究室自慢。まさかあのような空間が公共機関内に存在しているとは。ものすごい空間ですね、あれ。広さは一般的な教室の約三分の二。それを三人で使います。三人なのに、ディスプレイが14台くらいあったりします。全てCRTだがな。PCは10台? WIN95のマシンがあったり、マックG3や、そもそも起動すらしないPCもありますが。冷蔵庫が二台。電子レンジが三台。ロッカーが九つ。これらを三人で使えと。まあ冷蔵庫も電子レンジも現役なのは一つづつなんですがね。特筆すべきなのが、何故かうちの研究室だけテレビがあります。そこで早速、レンジで温めた弁当を食べながら、パソコンに作業をやらせながら、テレビで笑っていいともを見るといった贅沢の限り。ああ、学校って楽しい。こうして人は研究目的等を忘れていく。木曜日に買った教科書を、一度の講義で不要と察し、定価以下で友達に売るなどの行為にも走ってしまいます。学校っていう名前なんだから筆箱くらいは持って行くべきだったか。

 お風呂場、散髪失敗。前髪一直線。

- - - -

少し変調してみようの巻。時間かかった。

043:遠浅

 幻聴だなどとは言い切れぬ明瞭さでその声が耳朶を打ったとき、私はテトラポッドの隙間に溜まった海水をぼんやりと眺めていた。
 「なあ、やめとけよー。溺死なんて苦しいだけだって」という声が、まるで耳の穴全体を震わせるかのような感覚と共に聞こえてきた。あるいは、私の頭がそれを聞こえたと認識した。私にはその声が現実に存在するものではないということが何故だか理解できたので、慌てて辺りを見回すような真似もなく、僅かに視線を左に移動させたのみに留まったのだが、その先に見えるものもやはりテトラポッドであり、やはりそこの隙間にも嘘くさい海水が溜まっているだろうことを思うと、なんだか絶望的な心持ちになった。
 声は続き二度三度と私の耳の穴を震わせたが、内容からどうやらそれは私に対して掛けられたものではないということが判った。何故、そんなものが聞こえるのか、判然としない。そもそも何故私がこんなところでテトラポッドの隙間に溜まった嘘くさい海水を眺めているのか、それすらも判らないのだ。ただ、どうにも動いてはいけないような心地がして、陽が沈み、日で最も気温の低い時間帯になってもなお、私は海岸沿いの堤防から動き出せずにいた。動くにしろ、行くあてが一つも思い浮かばないのだ。違う、あてが無いわけではない。どこかにかつてはあてと呼んでいた場所があったような気はするのだが、ただ、漫然と思い浮かばないのだ。どちらにせよ、私はここから動けないでいる。

 どのくらい経っただろうか。五分程度のような気もするし、二時間のような気もする。それらの差が私に何の影響も与えないと云うことだけが確かだった。ふと、遠くの海、沖の方からぱしゃぱしゃという水音を聞いた。今度は現実だろうか、とそちらの方へ視線を移動させたが、何の灯りもない海は寂莫も哀憫も感傷も無く、真暗なだけで、ああなんだと思い再びテトラポッドに視点を戻すと、どうしたことかあの嘘くさい海水がすっかり消え去っている。
 空になったテトラポッドの隙間をぼんやりと眺めながら、何も考えてはない。あるいは、考えようとする事柄が余りに密に多すぎて、一見では無心とも思える心境であるのかも知れない。そして、それら差が私に与える影響もまた、皆無であった。「死ねやしないわよ。遠浅なんだから」と呪いの言葉を呟いてはみたが、そんなものに期待はなかった。陽が出始めているのを感じる。満潮になれば、あるいは強風が吹き荒れれば、またこの隙間に嘘くさい海水が溜まるのだろうか。どうも私は、まだしばらく動けそうにない。




4月10日(Sun)

 というわけで、TOPにも書きましたが感覚基地が動いてます。移動基地。ハウルではない。拙者もひっそりと所属しております。ほら、人員の欄に、と言ってもバリバリ本名なんでローカルで繋がりのない人々には判りませんか。まあそこら辺は、その余りある妄想力をもって補ってください。名前を片っ端からクリックすれば一目瞭然ですがのー。

 昨日は映画の打ち上げでして、なんとなく予想はしておりましたが例のごとく終電を逃しまして、梅田で始発を待つという事態に喜んで飛び込みましたが、これまでにも始発を待つシチュエーションは数知れませんが、思い返せば都会と呼ばれる場所で夜を明かしたのはこれが初めてかも知れないわけであり、感想はお金がかかってしかも眠れない、というものでした。あれですね、やはり徹夜は結果的に二日を潰すので効率が悪いですね。どんな発電方法も結果的には自然を破壊するので、絶対に不祥事の起きない原子力発電というものが存在すればそれが一番環境にクリーンである、みたいな感じでしょうか。でも人っ子一人いない地下街というものは、僕の胸を打つには十分な素材でしたが。僕がゴム人間なら、むちゃくちゃ腕伸ばしまくってたと思う。

 研究室への配属が決定し、少しだけ学校が楽しみ、という似合わぬ感情を持て余しています。森博嗣の「四季」シリーズを読破。始業により図書館へのルートが開け、バイトもなくなり、週五冊のペースが戻りつつあります。たくさん本を読め、という教育は、どうして誰も疑問を唱えないんでしょうね。個人的な体験に基づいて述べるならば、国語の教科書を一ヶ月かけて一冊読み切ることよりも、一晩駅のホームで野宿することのほうが多くのことを得られます。学べます、ではなく、得られます。それは痛感かもしれないし、何らかの感銘かも知れない。たくさん本を読むということは、つまりできるだけ多くの情報量を稼げ、という意味であると考察しますが、その命題が真ではないということは経験からも自明です。個人差はありますが、大食いしてもそこまでは太りません。一度に吸収できる栄養素の量が限られているからです。人間はフォアグラ農場のようにはいきません。たまにそんな人もいますがね。

 久々に後悔というものをした。なんかよくわからんが、一個終わった気がする。




4月9日(Sat)

 センチメンタル・バスのサニーデイサンデイPVを手に入れてしまいましたのでおそろしい頻度で見てます。嘘ですせいぜい一日二回です。だ、大好きだ。色物っぽさとかバカっぽさ、それらに隠された切ない感じが痺れさせます。在る意味、僕の一番好きなバンドなわけですがどういう意味なのかわかりません。昔に一度、テレビで拝見したことがあるのですが、もう完全に色物でちょっとガッカリしたのを覚えている。それがアルバム聴くとどうだ。隠し切れてないよ!切ない部分ちょっとはみ出てるよ!そういうのが好き。アルバム名が「さよならガール」だと知ったときから、こいつらは俺の好きな側の人間だと思っていたんだが。

 色物が切ないことやるのは反則だがむちゃくちゃ好きだ。ダウンタウンのごっつええ感じ音楽全集に、どうしても泣きそうになってしまう曲がある。ブリーフ&トランクスの名曲「石焼きいも」は歌う度切なくなる。稲中で有名な古谷実の漫画を読むと、死にたくなるのと同時に生きてみようかな、ちくしょう生きるかと思わされる。爆風スランプや大槻ケンヂやオナニーマシーンや銀杏BOYSや初期エレファントカシマシ。具体名が出てこないが、そういったテイストの映画。ラーメンズの舞台を見たらきっと泣く。

- - - -

誰かに見ていて欲しいから
たくさん無茶をするんさ

誰か実際に口頭で
俺の狂ったふりのことを
素で指摘してくれたら

俺はきっとそいつのこと
心から愛しちゃうと思う


- - - -

森博嗣は
名古屋大学工学部建築学科の助教授で

乙一は
高専在籍中に作家デビュー
その後、豊橋技術科学大学へ

どこかに通じる部分を感じることは事実で

彼らが「人を描けていない」と
よく批判されるけれど
それは全く逆だと
僕は思うわけで


- - - -

ああ、乙一が受賞作を書いたの、16才だったんだよなぁ
彼のペンネームは
ポケコンの機種名(カシオ「FX890P/Z1」)からだそうですよ

楽しいね
楽しいな


- - - -

15才の少女が
小学館の新人賞を取りましたけど
そっちは別にどうでもいいやー、と思うのは
何故だろうね

ちなみに彼女も高専生
なんなんだ高専


- - - -

一字一句をなぞるかのように
ゆっくりと語る人だった
その句読点の多い語りが
実はすごく好きで
こっそり真似しようともしたのだけれど
俺には無理だった

「嬉しいとき、もう、どうしようもないとき、
 感情が、高まると、涙が、出る」

俺に乗っかかりながら
目を擦る彼女が
どういう心理なのかよくわからないが
少し笑えた


世界で一番
透明な涙だと思った

使命感を燃やした
自分が不要だと 知りながら


母は泣いた 手に触れ泣いた
「よかった」と一言また泣いた

君は泣いた 深々と泣いた
「嬉しい」と一言また泣いた

僕は泣いた ただただ泣いた
気がつくと独りで泣いていた

昔行った あの場所に行った
あのRIVER

(RIVER/10-FEET)



東京の、空の、色は、
こちらの、空の、色と、違いますか?


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4月8日(Fri)

 続きませんでした。

 たとえばクローン人間の問題とか、特に感想を持つことができない。良いとも悪いとも思わない。そういうことはそっちを専門にやってる偉い人が考えればいいと思う。現に動物のクローンはできちゃってるわけだし。ただ、そうやってできた人間を養護するような法は必要になると思う。クローンでは同じ人間はできない。人体はハードです。おそらく、人間っていうのはハードに組み込むソフトの方を指す単語なんじゃないかと思う。わかりやすく言うと、プレステとゲームCD。で、このソフトが経験やら環境やらで再構築されながら構成されていくもんなわけだから、結局のところ同じ人間はできない。ハードが同じ機体で夢を見ることはできるかも知れないけれど。

 にしても、世の中に同じ人間はいない、ということが励ましのような意味を込めた言葉で使われることがあるけれど、あれはいったいどういうことなんだろう、とよく思います。嘘です。そんなに頻繁には思いません。ちなみに、この言葉と同じ観点で物事を観測した場合、世の中に同じ犬はいませんし、世の中に同じ歯ブラシもありません。むしろ同じ人間が南米に一人、トルコあたりに一人づつくらいいた方が僕は励まされると思いますが。とりあえずそいつの国に俺の名前が行く程度には頑張る。

 僕の考え、物事を捉える礎となる概念は非常に変わりやすいので、こうして書き留めておくことはいつかの自分に何らかの影響を与えるかもしれない。まぁ懐かしむくらいの波は起こすだろう。夢精をキモがるように。

 命に代えてでも子供を守る親は、実は存在するよ。ただその行動が、目的ではなく手段だっていう違い。さあ、守ったのは子供かな?人間は基本的に、自分のしたいことしかしません。僕はバイトをしたくありませんでしたけど、それでもバイトを一年続けたのは、辞めますと言った後のごたごたが面倒だったこと、収入がなくなること、結構楽しい今に時間を持て余すことが怖かったこと、その他諸々のマイナス要因が、バイトをしたくないという気持ちに勝った為です。つまり、そんなマイナス要因を食らうぐらいなら働こうと考えた。いちいちこんな高速かつ無意識に行われる思考を言葉に還元しているわけではありませんが、後からゆっくりとトレースしてみるとこういう結論が出ます。結局はこうしようと思ったわけですね。嫌々やってる、などと言いますが、それを嫌々にでもしないともっと嫌なことが起こる、起こる可能性が高いと自分が判断したことであるので、誰に対しての言い訳にもなり得ません。勝手に嫌々やっててください。

 一年ほど前から構想はしていたのですが、本日の休みを利用して、とうとうタバコロボ初号機が完成しました。使用した空き箱の数は19個。関節は、肩、肘、手、腰、背、膝の10箇所で、全てタバコの開け口を利用しているため、自由度は1、かつ人間の肘関節のように逆方向には曲がりません。自立はもちろんのこと、組み立て時の思い付きで、なんと体育座りが可能になりました。そのうち写真をアップします。タバコの空き箱を使用しているため、材料の調達がだいたい二日に一箱と限られており、二号機の制作はおそらく約二ヶ月後になるかと。課題は、関節の増設及び高性能化、足首の改良(自立対策)、小型化、あるいは大型化。今回は泣く泣く捨てた股関節を設置したいところですが、そうすると余りに巨大化してしまうので悩みどころ。せめて足の自由度が2確保できれば……。二号機の目標は、あぐらをかくことです。小学校の夏休みの工作を思い出した。




4月7日(Thu)

 桐島研に入れちゃったよー。三人だよー。プログラムできる奴いないよー。計算してみたら1〜4年の成績の平均80ちょっとあったから、もしかしたらバイト辞めた甲斐もなく何もしなくていいかもよー。というわけでお気楽ムードな僕は昨日の人生論日記なぞ忘れてお気楽にのんべんだらりとパンダの真似をするのでした。目指すは三年前の日記。あのお気楽さは取り戻せるんだろうか。副作用が凄そうだ。こう言っておけば、なんだか急に日記が小学生みたいになったとか思われても大丈夫かも知れないという予防線なのですが。

 チンコ!(掛け声

 と、勢いよく始めてはみたものの、ここは最早、過去に某伝説的人物ZION氏との個人的連絡HPであった頃から幾度の脱皮を重ね、もう自分でもどこにリンク貼られちゃってるのか正確に把握していないくらいの中途半端な栄えっぷりなわけですが、つまり僕のことを直接は知らない、ないし知ってはいるが中身を除く位置までいっていない、これはつまりカラオケ、飲み会、祭り等で僕が一時的に人間という殻を破り捨て脊椎反応で動くカーニバル・サイボーグとなった姿を目にしたことのない人を指すわけですが、そういう人に対してこういう日記を書くことはものすごい危険性を伴うわけですよ。

 と、この時点で既に書くことに飽き始めているのでそういった御託は放置しましょう。とりあえずやってみてから考えましょう。

 そう、三年前の時点ではまさか僕が学校推薦を得られる位置に到達できるだなんて、本気と書いてマジ、そう、マジで恋する5秒前だったわけですが、広末に子供がいるだなんて今の今まで忘れていました。まあ、あと3年もすれば僕らのドクがデロリアン(イプサム)を開発してくれるはずであるので、きっとあれは僕の子供なんだと信じて疑わない。つまりやればできるというわけですね。二重オチですね。

 さあ、困ったことに全く書けません。どうしたことか。あの若き日の光はもう戻っては来ないのか。おい俺の筋肉。どうすりゃいいんだと思い2002年にタイムスリップ(イプサム)してみたところ、なんか夢精しようとしたりしてました(2002年5月後半参照)。わいの完敗や。あんたキモすぎるよ。これってちょっとしたセクハラだよ。ちょっと真面目に自己嫌悪に陥りそうなので過去を掘り返すのはこのへんにしておきましょう。そんな目で見るな!あの頃は逆に純粋過ぎたんだ。純粋すぎると夢精したくなるんです、人という生物は。

 オチのないまま明日に続く。




4月6日(Wed)

 年を取るにつれて賢明になる、馬鹿をやらなくなるってのは、確かに良い意味で大人になるっていうのもあるんだろうけど、もしかしたら一緒に馬鹿をやるやつがどんどん減っていくから、というのも実はむちゃくちゃでかい理由なんじゃないか、と、ふと思った。そうやってまんじりもないまま普通の時間を過ごしているうちに、少しずつ馬鹿のやり方を忘れ、そんなことをしていた自分を否定し、嘲笑っていくんだろう。

 成長すればおのずとおずおずと行動範囲も広くなる。悪い意味で、きりがなくなってしまうのだ。馬鹿はちゃんとブレーキを握っている。ブレーキの付いていない車は発進させない。馬鹿と愚かさは違うのだ。馬鹿は自分がそのとき馬鹿をやっていることを知っている。馬鹿は自分がどうすれば楽しいのか、どのくらい楽しいのか知っている。楽しいことをしっている奴は、楽しくないことも判ってしまう。だからときどき死にたくなったりもする。そこでどれだけ楽しいと勘違いさせるか、自分を誤魔化しテンションを調整して楽しい時と同じような状態に持って行けるか、そちらこそが馬鹿の神髄である。そして馬鹿は、一方ではそれを楽しんでいるが、自分に騙され楽しまされている自分を眺めている自分をふと意識してしまう瞬間に悩まされる。全部が馬鹿なのだ。これでいいのだ。

 五年くらい、ずっと考えていた。もう結論めいたものは「よくわかんねーけど、しゃーないか」という形で出てしまった。だから、しょうがないのだ。考える必要もないことを考えていた。結論なんて出なくてもなんとなく生きていけちゃう、それすらもほったらかして考えていた。馬鹿だし、そもそも他にあまりやることがなかったのだ。俺の生活は、現実的な面を除いて、最高の三つぐらい下だろうと思う。結論は終わりではなく始まりである。実際に使用できる例での模索が始まる。手探りに乱用してみないと、使い方がわからないんだよ。

 諦めるだなんて!という考え方は、もうできない。なんでも否定してかかる生き方は、面倒なので辞めました。俺の周りにはそんな劇的な成功例がない。俺の周りに限って言えば、諦めることのできるやつの方が遙かに凄い。諦めることのほうが遙かに高いエネルギーを要する。簡単に否定してくれるなよ、だなんて思うけれど、そもそも否定なんて簡単なもんなんだからしょうがないか。

 放っておく、放置する、そのままにする、レットイットビー。それがまあ、一番楽なんやけどね。放っておくことが最悪の、そうまでいかないにせよ悪い選択肢だとされるのは何故だろうか。逃げが最悪とされる理由は?情報操作されていない?理由もない思考パターンを人間の本能だと思い込まされていない?

 何も間違ってないし、どれも正解でもない。そいつがそいつなりに判断していくしかない。人間は多いけれど、それぞれ一人ずつに審判がついて、その審判がそいつと同じ体験をしてみて、その上でジャッジを下す、だなんてこと、もちろん起こり得ない。まぁしょうがないのだ。心の底からではないが、これでいいのだ。だがしかし、いや、これでいいのだ。

 しばらくはこんな詰まらない日記が続く模様。ここで言う二人称は、大概が俺自身のことです。とでも思ってください。19才になっちゃって、特にこの二年で考え方が激しく変わったので、ここらで吐き出して、アパートの隣に住んでるお姉さんとぶつかったらバックからピンクローターが飛び出してきた、ぐらいの勢いに戻そうかと。何を言ってるのかわかりませんが素敵です自分で言います素敵です。一年前の日記を読むと、アライグマでゆらゆらしてます。なんだかこの時期が一番危ない気がする。二年前の日記を読むと痛々しいというか僕にしか内容がわからないのでよくこんなものをアップしていたな、と思わされます。三年前は、ほぼ完全にバカサバイバーです。というか青い。青いです。なんてったって16才。幸せそうだ。




4月5日(Tue)

 さあ、冷めた視点でどんどん受け売りの知識をばらまいていきますよ。

 たとえば、石油はまだ無くならない。もっと違う場所でもっと深く掘れば、出てきますよ。ただコストがかかるから単価が上がるだけ。石油が出る地域っていうのは、同じコストをかけたときにより大量の石油を採取できるだけです。他の地域で高いコストをかけて採掘するよりも、輸入した方が安くつくんですよ。まあ確かに単価が上がり続ければなくなったような状態になるかもしれないけれど。

 超能力は、能力を超えていない。子供だって両手を使えばスプーンを曲げることができるし、台を使えば浮いたりしなくても高いところのものが取れます。っていうかなんでスプーン曲げなきゃいけないんだろ。超能力って言うのなら、音速ぐらい超えてほしい。それもどうかな。俺でもそういう乗り物に乗れば音速を超えられます。人間は道具を使えるんすよ。それを超えないと意味がない。オリンピックなんかも、なんだかよくわからない。速く走れるのは本能的に凄いなぁと思うけれど、乗り物ありますし。それ以上のスピードで移動しながら本も読めますが。ごくたまに、こういう冷めた視点の自分が出てくることがある。そうなったらもう、どうしようもない。これでも生きてるのが嫌じゃないんだから、よくわかんないっすよねぇ。

 同じ意識を長時間保てません。だから、短編しか書けないということが発覚。よく頑張った方で一作に二日くらいしか掛けられないので、無理だよなぁ。更にラブコメ志向の副作用がこんなところでバリバリに効いており、何を書いても陳腐な慕情物語になる罠。喪・失・感!うわーお。原稿用紙換算すると、最長でも15枚前後。って規定枚数にすら達してないじゃないか。ファック。推敲したらこっそりアップします。最近小説を書けと言われることが増えましたが、いかに俺が物語を組み立てられないか痛感するがいい。




4月4日(Mon)

 今日は今日とて感覚基地ミーティング。

 子供の頃、CGで髪の毛の一本一本を再現することは不可能だと言われていた。そう、テレビでやっていた。それがいつの間にかできるようになっちゃってて。あのころはテレビはちゃんと本当のことを言うものなんだと思っていたからということもあるが、なんなんだろうこれは。できちゃったよ。すごいことだけど、そんなでもなかったり。CGで髪の毛を一本一本再現することによるメリットまで考えなかったんだろうか。数年前、フルCGで撮影された(撮影された?)劇場版ファイナルファンタジーを見た時の感想をここに書いたことがある。もうどこにあるのかわからないから示せないのが哀しいところだが。そのときにも同じようなことを言った気がする。人間の全てを再現できてしまえるならば、それをCGでやる必要ってなんだろか。人間には出来ないアクション? 物理的に不可能な構図? それができるようになったとして、それは本当に求められていたもの?

 だんだんと、人間が動くよりもCGを動かす方がコストが安くつく場合が増えてきている。将来、人間が動くことは、最高の贅沢とされることになるだろうと思う。体っていうのは、器である。別になんら特別なことはない。電気信号で動く。特別なことって、再生能力くらいだろうか。そしてそれは、別に哀しいことなんかじゃない。たとえば人間が部屋に引きこもってヴァーチャルの世界で生活し始めるような生活が「そんなの駄目だ!」って叫ばれることがあるけれど、それは何故駄目なの? 運動不足になるから、だなんて言って誤魔化しますか。それとも社会的なあれこれが他人との接触をなくすことによりどうこうして、だなんて理解不能なことでもぼやきますか。結局のところ、理由は「それがなんとなく哀しいから」というぐらいのことしかない。他人が自分と違うと、不安? 自分がこうだから君もこうしなさい。開いた口がふさがりませんわ。まあそれだって、誰かさんの大好きな、大切な感情ってやつなのかね。

 人間が動かなくなったって、別に構わない。そうしたいとか、そんなの嫌だとか、特に思わない。意識が続いているのならそれでいいです。よく現実と空想の区別がつかないとか言いますよね。ところで、現実と空想の区別がつかないって、そんなに悪いことだと思う? それはどうして? デカルトですら、結局その解を導き出し切れなかった。イメージに踊らされていない? それは本当に自分で考えたこと? まあたまには、こんな日があったっていいかも知れないっすね。こうして日記全体のバランスをとってるのかも。

 そう、現実と空想の区別とかで思い出しましたけど、よく増え続ける少年犯罪とかテレビが言ってますよね。少年犯罪って、増えてないんですよ。戦後が一番、爆発的に多かった。最近はその三分の一くらいだと思う。まあ嘘だろうがなんだろうが、少年犯罪が増えてるーとか言っておけば関心が集まるだろうと考えたんだろうけど、それが思うつぼに受け入れられちゃっているのも事実。本当に危ないのはどっちだろうねぇ。




4月3日(Sun)

 ホーミー練習中。なんか心肺機能に負担をかけるそうで、あんま練習しすぎると死ぬらしいです。逸話でしょうが。どうせなら心配機能をもうちょっと損ないたいとこだけど。

 昨日の反動か、今日は書く気がしないのです。なんとなくなんとかなるや的楽観思考の自分と、どうやって痛い目見せようかなーなどと考える猟奇的な自分が結構頻繁に入れ替わってわけわかんないことになってますが、僕には彼氏彼女の事情があるので大丈夫、と思いきや、やさぐれ気分なときにはそれすら見る気が起こらないということが発覚。なーむー。出会い系サイトにはまってる友達がうまいこといってから笑えるネタ的な痛い目にあってくれることを願いながらおやすみなさい。今日の夢には飛行機雲なんか見たいなぁ。学校始まらないと図書館に行かないので本を読んでおらず物足りない。こっそり腹筋筋肉痛。いやーこれたぶん割れないや。硬さばかりが上がっていきます。そう、重要なのは大きさではなく硬さなのだよ。ウイスキーとミルクを半々で割ると結構美味しいです。カウボーイです。おすすめ。




4月2日(Sat)

 本日、日記三発目。素晴らしい。原田宗典ふうに言うと素晴ら式日記。実は素晴らしくもないし原田宗典そんな好きでもない。バリバリ書いてるね。英単語とか。どうやら研究室の配属を七日までに決定しなければならないなどの噂話が飛び交っておりますが、拙者は桐島研でまったりやろうかと思うわけで。「校長陛下が桐島研に興味を示されておられます」の名言もありますしね。言語やり直さないといけないだろうけど、きっとなんとかなるだろうと思いながらあと3年はだらだらします。収入がないと、ほんとまずい。なんだか切羽詰まってきました。詩の入選の件ですけど、仮にここで一万円をけちった場合、俺はその一万円を何に使うんだろうと考えたときに、どうせくだらんことにしか使わないんだろうなーというわけで週末が開けてまだ募集してたら振り込みに行こうかな、と。十二月刊行予定の「思いのままの詩5」に本名丸出しで掲載されるそうな。いや、イニシャルとかになるのか? 奈良でも大きな本屋になら置いたりもするみたいね。印税入ってくるわけでもないんで買わないでください。騙されるから。どっちにしろ年末のことなんで覚えてられようわけもなく。出版社からのメールをそっくりそのままコピペしたい衝動にもかられましたが、他の入賞者の個人名とか入ってるので自粛。情けない。次は大賞とるんでよろしく。て、これでまた金なくなっていくんじゃないのか。やはり煙草を辞めるしか生き延びる道は残されていないのか。誰か飼って下さい。

- - - -

楽になってしまえばいいのに
拙者の手は結構汚れているので
あんたの肩を叩けそうもないけど
声をかけたりして手伝うことはできるかもしれないから

しんどかったら辞めたらええんやよ
攻めるやつの言うこと気にすることない
あんたと同じ体験をしたのはあんただけなんだし
そんなもん聞こえなくしてやる

それでも続けるっていうんなら
まぁのんべんだらりとやってみりゃいい
拙者にできることなんかなーんにもないので
たまにのんべんだらりと報告も聞いてやるさ

- - - -

前に話した通り
こうして男は後悔を繰り返していくわけで
どっかで見たような優しさにかまけて
思いにそぐわないことを囁くのでした

あーあ

- - - -

最近のラブコメ度の原因は
俺が恋に落ちた
などというわけではなくアニメ彼氏彼女の事情が手に入ったので
昼夜を問わず見まくっているからでありまして
まあこんな原因は不本意なんだが
確実に
ラブコメ人間になりつつある

五月まで、何もなかったら
友人と風俗です。
自覚はないけど
堕ちてるのか? 俺

- - - -

こんな態度やけどね
俺痛いのいらんのよ

他人が「痛いのは嫌」って思ってるってこと
あんたが知ってるとは思えないわけよ

自分の中の一番嫌な奴が出てくるわけよ

人に痛いことするってことは
自分が痛いことされても辞さないってことだよな?

- - - -

こんな爽やかに晴れた朝には
銃口を咥えたくなる。




4月2日(Sat)

 キスしながら歌うには、まずキスをしなければならないというのか必要条件であり、僕のファーストキスは17才の誕生日を迎える一ヶ月前なわけですが、それ以前にも男はもちろんのこと犬、猫、鹿、魚、アルコールなどとのキスを体験しているわけでありやはりファーストキスも自分で決めるものなんだなぁというかファーストキスっていうのは自分がした初めてのキスではなく、自分が誰としたか、その相手ごとにファーストキスというものが存在するのではと考察するわけで、そんなこんなでテキスト更新。

 まーもーは煙草を舌で消すことができるらしいという噂を耳にしたのでやってみた。すごく不味かった。最近はまあ、そんな感じですかね。美人デー=モンスター・カーニバル。




4月2日(Sat)

ラブコメ
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「好きです!」
 「僕も!」
 「なんちゃってー、エイプリルフールでしたー」
 「僕も好き!」
 「いや、だからエイプリルフールだっ・・・」
 「僕も好き!」
 「もう、嘘だって言ってんじゃなーい」
 「僕も好き!」
 「え・・・まさか・・・」
 「今日は四月二日だよ」

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道化師
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「好きです!」
 「僕も!」
 「なんちゃってー、エイプリルフールでしたー」
 「僕も好き!」
 「いや、だからエイプリルフールだっ・・・」
 「僕も好き!」
 「もう、嘘だって言ってんじゃなーい」
 「僕も好き!」
 「え・・・まさか・・・」
 「あー、一通り言ったらすっきりしたからもういいや」
 「何?! どういう意味?」
 「んじゃ、またいつか、何かで」

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コント
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「好きです!」
 「あの、醤油と砂糖で煮込んだ肉を溶き卵で食べる料理がどうかした?」
 「それはすき焼き!」
 「竹槍?」
 「突きです!」
 「登録料は」
 「抜きです!」
 「魔女の宅急便」
 「キキです!」
 「の、黒猫」
 「ジジです!」
 「一番好きな季節は?」
 「秋です!」
 「好きです!」
 「好きで・・・え?」

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銃声使いたい
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「死ねえ!」

パパパパパ、パパ、パパパパパパパーン(銃声)

 「おまえは・・・あのときの子供か・・・がふっ」
 「愛してるよ」

パーン

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ラブコメ2
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「・・・ああ! やっぱり言えない!」
 「好きです、でしょ?」
 「え・・・」
 「エイプリルフールだもんね」
 「あ、いや・・・・・うん」

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意味わからん
 「あのさ・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「好きです!」
 「・・・私も好き」
 「まじで?!」
 「あ、ごめん間違えたわ」
 「何?!」

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気をつけよう
 「あの・・・」
 「ん? あ、久しぶり。どうしたの?」
 「す、す、」
 「酢?」
 「好きです!」
 「・・・ほんとに?」
 「うん・・・ずっと言えなかったんだけど」
 「そうか、そうだったんだ」
 「ところでね、この壺はピラミッドパワーを持つ幸運の壺なんだけど・・・」




4月1日(Fri)

 嘘つくの忘れてた。