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2月27日(Sun)



今日はテスト前なので、絵。




2月26日(Sat)

 「まあそら一応ノートあった方が便利な教科は板書してるけど、それも三教科くらいやし、それ以外は大抵自分のじゃない席で漫画読んでるかなぁ。クラスの人らが次々に違う漫画持ってくるから、困らへんねん。」という話をしたところ、大学はもっと厳しいらしいです。小学生の頃は、授業中に寝るなんて考えらんなかった。というか、別に眠くなかった。中学生になって、社会科と家庭科の時間は寝始めた。寝る教科は、一年、二年と増えていった。それでも今考えれば、それほど眠くもなかったんじゃないかと思う。ただ、授業中に漫画なんてことはなかった。携帯も、まだそれほど普及していなかった。学ランからフードを出せば注意された。テスト期間中に爆竹サバゲーをして補導されて、担任に呼び出された。エロ本を交換した。自転車でカラオケに行った。ビリヤードにも行った。昼食後の掃除の時間、その週は中庭担当だった俺がえっちらおっちら教室から出て行こうとするとき、なんだかこれは俺の話をしてるな、と判ってしまったクラスの女子がいたので、なんとなくそっちをじっと観察していて、ふと、その女子と目が合って、俺は何故か、たぶんその瞬間、違う俺にチャンネルが変わり、「にへら」と笑った。その女子は音量調節を誤った声で「うあー!」なんて叫んで隣の女子を叩き、俺は、中学生にありがちな勘違いをして、でも俺の何人かはそれが「中学生にありがちな勘違い」だと感じており、結局何もなかったのだが、今でもこうして覚えているのはたぶん俺一人だろう。俺がいなくなれば、それは起こらなかったことと認識されるので、覚えていようと思う。昔話は、知らず知らずの間に脱線してしまう。たぶん、小人のいたずらか、劣化によるエラーが修復できないほど多発しているのか、リンク回路がやられているのか、まあどうでもいいか。

 そうそう、この中学よりも楽な機関から、どうやって大学なんかに順応するんだって話。どうも、大人になればなるほど、楽になっていっている。子供ほど、やりたくないことをやらされている時期はなかったように思う。大人になったらやりたくないこともやらなくちゃならないんだ!といいながら、子供にやりたくもないことをやらせる。それが教育だと。たぶん、そうでも思わないとやってられないんだろう。

 人ってのは、大抵、やりたいことしかやっていない。たとえば僕がテスト勉強をするのは、テスト勉強なんてものしたくはないが、勉強しないと留年の可能性もあるし、叱られそうな気がするし、なんだかやった方がいいような気がするし、まあなにしろテストだしなぁ、という理由による。つまり、テスト勉強をしたくない、という感情と、それによって起こる不利益とを天秤にかけ、よりリスクの少ない方を取っているに過ぎない。結局のところ、やりたいことをやりたいようにやっているのだ。

 仕事が辛いが、本当に辞めるともっと辛そうだし、この先が不安だし、このまま辛い辛いと思いながらやっていこう。死にたいけれど、なんだか怖いし、痛そうだし、そもそも死ぬって何なのよ、あーちくしょう、どうしてこんなにぐだぐだ考えてるんだろう。こんなことをしたいんだけれど、お金もかかるだろうし、自分でできるのか不安だし、失敗したら大変だし、もし、もし失敗したらそれにかけた時間もお金も吹き飛んじゃうわけだし、とりあえずこの状況がひと段落したら考えよう。

 全部、自分で選択している。自分で、選んでいるだけ。やりたくないことを選んだのだとしても、それは単にリスクを見比べた結果であって、それで納得したんだろう?納得していない、と思いながら、でも納得するしかないなと考える二人目を自覚してください。誰だって、一人じゃない。身体が一人だと、一人?脳が一つだから、一人?人間っていうのは、身体?物質名詞?いつ、まとめ上げたの?いつから、自分が一人だと数え始めたの?低周波治療器を身体に当てると、ビクンビクン反応するでしょう?これも出力器ってこと。




2月24日(Thu)

 こんばんわ社会のゴミです。燃えないゴミですけど、燃やせます。この世に燃やせないものなんてないのさ!などと、今夜も根拠のなさに反比例した自信を武器にのたまっております。最近は「燃えないゴミ」ではなく「燃やさないゴミ」という表記が増えてきましたね。僕の社会的貢献活動の賜物でしょうか。総合的にマイナスだけどな!僕は電車などで席を譲ることはありなせんが、偽善の欠片のようなものを1/fの確立で持ち合わせておりますので、しんどそうな人が近くにいて座席がないときには素知らぬ顔をして別の車両に空いた席を求めさ迷ったりもします。「僕はこの席が気に入らないので別の車両に行くのであって決して気を使っているわけではないが、この隙に付け入って上手いこと座席をゲットしてくださいおばあさん」という目論見が、二両先の車両に移った後でも周りに読まれている気がして挙動不審の二乗になったりもしますが。こんにちわ被害妄想です。誰か愛せ。

 やっとこさ沙羅双樹を見ました。ああ、Charaの歌声でも癒しきれなかった僕の荒んだ心が解きほぐれて行く。父親役が生瀬勝久という人間なのですが、僕はこの人のことが大好きであり、以前からTVでちょくちょくと見かける度に驚喜しておったのですが、こんなところで出会えるなんてとまた驚喜。やっと名前を知りましたよ。っていうかね、僕この映画のエキストラに行ってたんですけど、映画見て気付いたんですが、よく考えたら僕、生で彼のこと見てる。彼のセリフに少し感銘を受けた覚えがある。撮影のときはね、もう祭りっていう舞台は奈良市全体を以って出来上がっていたので、あとはそのままの流れでいつの間にやら撮り始めていたんですよ。今から撮りますよーなんてアレもなく。で、なんかおっちゃんが壇上でスピーカー持って喋ってるのな。僕らを盛り上げるためのスタッフの人かと思っていたけれど、あれが生瀬さんでした。生・生瀬。ああ、書きたいことがいっぱいあるよ。でも今(0:31)からテスト勉強しなくちゃならないので自粛。ゲームは上手くなってるけど、タイピング速度は変わらないのは何故ですか。

 そう、撮影が終わった後、どこからともなく「アンコール!アンコール!」という声が聞こえてきて、もう完全に祭りトリップ状態の僕はその場で「アルコール!アルコール!」と居合わせた素敵な仲間たち約十名と叫び、そのアルコール・コールが周りに伝わったと思いきや、次には何を思ったのか「メンソーレ!メンソーレ!」と叫んだんです。もっと大きな声で、もっと大きな声で!メンソーレ!!と。ものすごい気持ちよかった。でもそんなこと忘れてました。で、今日そのシーンを3回ほど見ていたんですが、なんかね、アンコール!のシーンもカメラ回ってたみたいよ。っていうか、メンソーレ!って聞こえる。まさか僕等の声を拾ったわけではないと信じたいので、きっと聞き違いか、メンソーレの波が撮影部隊の近くにまで伝播したんでしょう。やったね。ごめんなさい。だって、僕、15歳だったんだよ。

 こんなことになるってわかってたら、意地でも生瀬さんの近くに行ったのに。なんて考えてます。でもあの時期で良かったような気もしてる。悔いのない生き方は、後悔の繰り返し。シッパイマンの顔は、泣きそうに笑うんです。




2月22日(Tue)

 かくして、春休みネタ第一弾、「人は一ヶ月で腹筋を八つに割ることができるのか?」がスタートしようとしています。まあもう一つのネタである「人は一ヶ月でどこまでタイプ速度を上げることができるのか?」については、この連休に水面下で動いておるわけですが。タイピング・オブ・ザ・デッド(以下TOD)が主な実験器具ですね。他に「ZAKU打」「機動戦士Zガンダムタイピング」「ビートマニア打!」など取り揃えておりますので、参加者は申し上げてくれれば配布致しますが。ちなみに僕は未だにブラインドタッチが完全にできませんがね。できませんがね!

 さて腹筋企画についてですが。動機は思い付きです。というか、僕自身は今以上に筋肉が必要だとか思っていないし、むしろなんだか筋肉多いほうが生きていくのがしんどそうだし、そもそも色白のマッチョはキモイ法則があるので、避ける要素なら夜空の星ほど浮かぶのですが、まあ思い付いちゃったもんはしょうがないしなー。ああ、既に嫌になりつつある。

 悲しいかな、参加者は「teruhiko」のみとなりそうなので、まあ適当に行きましょう。大事なのは、真面目にやらないこと。真面目に不真面目をすること。まあ腹筋を割るという行為自体、不真面目なんですが。受験まであと五ヶ月くらいですねー。やめたくなったらやめます。つまりやめたくなるまでやります。あと、なんとなくやりたくなったときにやります。やめても、やりたくなったらまたやります。決して自分から「さあ鍛えるぞ!」なんて思っちゃダメ。バカになります。本当はバカなのはこちら側ですが、バカから見れば向こう岸がバカなんです。これも観測点の違いやねー。

 で、方法は、まあ腹筋ですか。それしかできないよなぁ。なんか色々やり方があるようですが、気にしないでおこう。なんか、腕で反動付けると意味がないとか言いますが、そんなん知るかーいう話ですよねー。勝手にやらせろやーいう。以前にも書きましたが、僕は、手加減しないということを学びました。所謂、無敵状態ですね。はい、違いますね。teruhikoの書き込みでは、つまり一日240回ということでしょうか。あーそもそも僕って腹筋何回くらいできるんだろう。スポーツテストを考えると、30回で筋肉痛だと。

 とりあえず1日5000回やりましょうか。

 



2月21日(Mon)

 気付いてると思うけど、そうやって文句を言ってるあんたは、あんた自身がそれに対抗しようと何かを創作しない限りは、そういう過程を踏んで予期もしない苦汁を味わってみない限りは、あんたはその文句の対象以下だよ。

 前歯の裏に穴が開いてます。歯茎まで届く、深く暗き穴なのです。神経を抜き取りました。抜き取った神経は、見せてもらえませんでした。神経が攻撃を受けていたらしい。そら痛いわ。でももう痛くない!相変わらず咀嚼はできないけれど、別に困らない!つーか寝れる!というわけで今日はさあ毒吐くぞー。

 まず人間の感情と言うものが単なる化学反応の結果であると言うことを認めるところから始めよう。そんなのが嫌だとかそういう感情論はこの際どうでもいいし、それこそ既成概念。単なる化学反応は、別に冷たくも残酷でもない。その反応にこそ価値がある。無限端子網である。インプットがあって、アウトプットがある回路だ。どうも、やっぱり誤解がある。感情が、プログラムであって、何故それが悲しいことなのか。すげぇプログラムなんだよ。幻想も見れる。感傷なんてこともある。反応に名前を付けることも出来る。死にたい、つまり、自己を消滅させたいと思うことすらも出来る。ものすごいじゃないか。それを認めて、あと、その続きは忘れちゃったから次行こう。

 本だとか小説だとか、読まないで済むのが一番いいんじゃないかと最近思い始めている。読まなくて済むのなら、そこで完結してしまえば良い。そういう世界で生きていって、楽しけりゃそれでいい。ただ自分は、読まずにはいられないから読んでるだけであって、読んでいるのが楽しいから読むのである。音楽も映画も然り。他人は、自分ではない。自分が他人と違うと、どういう不都合がある?多数派は何故安心なんだろう。安定は何故、安心なんだろう。共感したい?繋がりたい?それが幻想でも?と、それ自体は別に愚かなことなんかでもない。別に批判でもなくて、そういう人はそうしたくてそうしているんだから、批判もない。何故、批判が生まれる?つまり、自分がこうしているんだから君もこうしろ、という理論ではなかろうか。自分はこう思うし自分はこれが正しいと思っているのだから、君も正しくこう思いなさい、という理屈だろうか。愚かしさというものが存在するのなら、その点であろう。しかし愚かしさもまた、悪いことでもない。愚かしいことがマイナスだと誰が決めた?誰かに教わったの?幻想を?

 さあ、まだ続く。私が皆と違って何が悪いの?!という叫びは、それ自体が既に「違うこと=悪」という既成概念に捕らわれている。捕らわれていないまでも、意識しているんだろう。だからそんな発言が浮かぶ。そんな概念は、ない。違う人間は、違うんだから、別に放っておけばいい。それが自分にどう影響するだろう。悪口でも言われるんだろうか。悪口は、自分にどう影響する?「あの娘はこうこうなんだよ」、と、その言葉が自分にどう影響するのか。というか、影響を及ぼすほどのものだろうか。あんたが端っこだと思っている場所は、これ以上先はないと思っている壁は、そう思わせる思考そのものが捕らわれている。なんなら、思考を四次元の世界に飛ばしてしまえば良い。四次元の世界にも壁は存在するが、そこまでたどり着いたんなら、それはそれで凄いことだから拍手喝采。葛西。

 四次元っていうのは、まあそりゃこの世界にはないけれど、なんとなく思い浮かべることくらいはできる気はする。一つの軸がある。一方向に、行ったり来たりできる。これが一次元。その軸に垂直な方向に、もう一つ軸をつける。すると平面になる。これが二次元。そこに更にもう一つ軸をつける。三次元。つまり、縦、横、高さで表される。で、空間が出来上がり。それを仮に、この部屋だとする。部屋の角を見てください。三つの軸があると思う。この三軸のどれに対しても垂直な方向に、部屋という空間そのものが動けば、それではい四次元のできあがり。って、自分の勝手な思い付きだから正しいのか間違ってるのかわかんないけど。もしかすると、とんでもなく間違ってるのかもしれない。四つ目の軸が時間軸だっていうのは、こじつけですよね。そんな軸はない。四次元なら、空間から空間に移動できる。鍵を開けなくても、四つ目の軸から中に入れる。なんだかわけわかんない。毒吐くんじゃなかったっけ?じゃあ、初恋の話でもしようか?これで四度目くらいだけれど。

 初恋の相手の実名を、意図的にうっかりと日記に書いてしまったことがある。確かに、誰でも一度は自分の名前をググることがあるだろう。びっくりだねー。でも、実は、あの名前は漢字変換が誤植だったんだ。というオチを期待して卒業文集を開いてみたけれどバッチリ当たっていた。ついでに検索してみたら、バッチリ僕の日記が表示された。こんな育ち方してごめんなさい。




2月16日(Wed)

 しばらくは日記もおやすみなのでしょうか。だって歯が痛い。というのは僕の思い込みであって、実際に痛いのは歯茎なのであり、なんだかより不健康なイメージであるので、春休みには「人間は腹筋を八つに割ることができるのか?」のテーマの下、イベントストリームの中に身を売って投げようというところですが、その前にコツコツと貯め積み重ねた期限切れレポートや学期末テストなる障害が僕のことを大手を振って待ち受けているのであり、表現が間違っていることはなはだしいのであるが、僕はそういうのがとても好きなのであえてこんな感じでいかせてもらうことにする。痛み止めが切れたら多分僕は死ぬので、今のうちにこうして駄文でも書きとめておこうという魂胆なのであるが、書き留めると言えどもこれは単に思考を保存しやすい形でデジタルに変換している作業に他ならず、打ち止めるといったところであろうか。つまり、日記を書くことはパチンコに繋がるのである。率いてはチンコに繋がる。今、パソコンがチン娘という素敵な言葉を弾き出してくれたお陰で僕はもう少し頑張れそうなのであるが、ああ、今ズキンとした。このまま歯茎の炎症が脳に至り、植物人間化するのを待つばかりなのであろうか。と書いている自分が一番白けているので、いかんともしがたい、不毛である。つまりチン毛がない、パイパンだ。まただ、今度の変換はπパンダ。思考のないところに偶然発生したバグは、時として思考を超える。感動とともに投げやりな気持ちを覚える瞬間である。あ、痛いのでこの辺で。