| www.diary | index. | log | memo

2月14日(Mon)

 「甘いんだよお前は!」

 こんにちわ、角砂糖です。これが佐藤さんと掛けたギャグだとは誰も気付くまい。なにしろ僕の周りには小学校以来、佐藤さんが存在しない。僕は最近、手加減しないということを学びました。殺し屋1の影響です。だからマクドのハッピーセットに付いてるカードも手加減なしにパクります。ダンボールごと。そんなマクドとも、あと数回のインでお別れさ!ラストインの日は手加減なしに偽りの涙で制服を濡らして返却したいと存じます。制服を濡らして・・・濡らし・・ふふ・・・・

 そう、いつになくテンションが高いのです。虫歯じゃなかった。炎症だった。って余計に性質悪いよー。まぁ幸いにも部屋には数々の戦いの末手に入れた大量の痛み止め&炎症止めがあるので、ここぞとばかりに大量消費したいと思います。まあ先程、試しにカプセル剤を噛み潰してみたら想像以上に大変なことになったのですが。

 歯のレントゲンを撮るとき、身体への影響を防ぐために防護エプロンなるものを装着するらしいのですが、それを取り付ける看護婦さんが「ちょっと重いですよー」なんて言いながら僕の背後から手を回してエプロンを被せ、脇の固定テープをわざわざ僕の身体を抱くような動作で遠まわしに止めるもんだから、テープを引っ張る仕草に密着する二人の身体、情熱的な抱擁、二の腕に押し付けられた感触美、そして彼女の香りが僕を狂わせるかと思ったら実際は頭ん中モノスゴイあたふたしながら直立不動に硬直しただけでしたので、これで顔でも赤らめてれば完璧だなぁと訳のわからぬことを考える僕はやはり今でも比較的安全なのだと云えまいか。という文章はこうやって僕の安全っぷりをアピールすることで上のような素敵体験アンビリバボーを増産しようという打算的な考え基づいているのであるって、そんなことは決してないのである。せいぜい20%ぐらいだ。この20%を自己分析した上で、その他80%の勢力に否定されることなくそれも一人の自分として受け止めることが、自分という人間を見つめなおす有効な手法であるのか?今更だけど、僕の日記はなんて構文分析しにくいんだろうか。読んでる人はさぞかし読解力があることだろうと思う。

 DVD−Rを手に入れたのでぶはぶは言いながら映画を焼きまくっている。あっという間に9枚。ぶはぶは。意外とコストが掛かるので、次からは二度見たい映画だけにしようと思う。っていうかキャシャーンは二度見ないだろうし。しかし手加減は無用。手加減というのは、力の調節である。出力の抑制だ。そもそもがこんなにも変換効率の悪いシステムを使っているのだから、手加減なぞ不要。手加減して良い結果が出たことは、余りない。手加減なしでやって、後悔することも余りない。なんだかNHK社員のエッセイみたいになってきた。次の日記で軌道修正するとしよう。と、こういうことを記してしまうことで、次の行動が制限されていくのである。つまりこれは未来日記。自由を奪うと楽になれるんです。




2月13日(Sun)

 ばり痛い。




2月10日(Thu)

 友達が「俺別れたー」と半笑いで言い、その一週間後に、そいつからメールアドレスの変更メールが届き、登録を変更するときにそいつの元のメールアドレスが自分と彼女の名前を入れた惚気アドレスであったことを思い出され、なんだか切ない気分にでもなった方がいいんだろうか、なんて考えたが面倒なのでやめた。今のところ、携帯メールっていうのは哀しみを生み出すシステムでしかない気がするのは俺の周りだけなんだろうか。歯が痛くて集中できないので、三分くらいで治して欲しい。気がついたら涎が出てるくらい痛いんだが。し、死にてー。痛てー。

 今現在、もっとも魅力的なおっぱいは田渕ひさ子嬢のTシャツの下に存在しているわけですが、どうしたらいいですか。




2月7日(Mon)

 あ、マスをかく、の「マス」ってマスターベーションのマスなのか。なのか?世の中は疑問に満ち溢れております。その過半数には、そもそも判りやすい形での答えなんて用意されてはいないのだけれど。

 森博嗣を三冊に、スワロウテイルの書籍があったので、それを借りてみる。僕は監督の名前を覚えるのとか苦手で、そらんじてカタカナの監督名などつらつらと語ることのできる人をこっそり尊敬してみたりもしているのですが、監督の名前を覚えていないと言うことはつまり、監督というものに縛られていないわけであり、よく考えてみれば好きな映画でも監督の名前は知らなかったり、まあ同時に役者名も覚えてはいないんですが、これはこれできっと新しい見方なんだと無理やり納得してみたくもなる。監督っていうのはものすごく浮いたスタンスにある気がする。音楽などのアーティストとは違うし、プロデューサーみたいなもんとも違う。むしろ土建屋の現場監督に近いのかもしれない。お、親方ー。

 監督単位での分類というのは、つまり好みのものと出会うための効率化なのではないかと考察する。同じ監督が撮っているからといって、それが趣向に一致するとは限らないが、全体としてみればその可能性は浮き出ているし、期待度は比較的高い。まあそもそもにおいて分類というものの本質は効率化なのであり、二度手間もいいところであるが。これを受け、つまり僕は効率化ができていない。書籍においては傾向は把握しているが、映像となると全く未知数である。もっと気にかければよかったと少し後悔もしているが、まあ覚えらんないもんはしょうがない。しょうがない、は果たして仕様がないと等価だろうか。つまり言いたいことは、映画を薦めてくださいってこった。玄人好みのやつじゃなくて、もっと判りやすくて、でも第六感にくるやつを。僕はもう完全に第六感だ。何々のどこどこが好き、だなんて説明することは面倒くさがりな僕にはメモリオーバーなわけで、そもそも僕は他人に何かを説明するなんてできない気がする。感覚なんてものは説明できないもんなんだと思ってしまっているのでしょうがないし仕様もない。しょうがない、の「しょう」というのは、しょうもない、の「しょう」と等価と見ていいだろうか。というか仕様というのはどういう意味なんだろう。と、疑問を持ちつつもそれを調べるのが億劫、というのが僕の弱点なので、僕がヒットラーに憧れて独裁を始めようとしたときや、デスノートを手に入れて世界を敵にまわしたとき、カラフルな五人組にやられて巨大化して大暴れしたときなんかはその弱点を攻めれば楽に倒すことができるだろう。攻略本にもそう書いてあったし。僕がデスノートを手に入れたら、なんの躊躇もなく眼も手に入れて、もっと効率的な方法で大虐殺を始めると思うので注意してください。でもデスノートは一巻と三巻しか読んでいないのでよくわからないのでネタも振らないように。

 奥田民生の「何て言う」が素晴らしすぎて震えてる。深夜テレビで「歌詞を付けるのが面倒くさい」って言ってた。感性なんだろうなあ。どこまでも当たり前のことを言っていて、でも、それを出来ることの凄さ。感情というものを言葉に変換したとする。他人が見たら、絶対に支離滅裂でわけのわかんない言葉の羅列となる。どうしたってデコードできない。でも、ふと波長があったとき、それは物凄い表現率の高さで感情となって再現される。ああ、何かを創るって、こういうことだよな。判りやすいものっていうのは、まあ誰にでもできる。ただ判りやすくするための段階で、多くの情報が欠けてしまっていたり、胡散臭いセリフになっていたり、ああ、ドラマやマンガなんかから吸収したんだなあ、っていうような表現になってしまったりもする。表現の仕方は吸収するもんなんかじゃなくて、そりゃもうただひたすら自分で模索していきながら探り当てるしかない。波長はなかなか合わないだろうけれど、それが合ったときの感動は素晴らしい。ほんと、波長は合わない。ほとんどの人には伝わらない。でも、僕らが何かを伝えようとすることなんて、そんなもの。全員には伝わらなくたっていい。そもそもの勘違いが、僕ら個人の間には情報が流れる線は繋がっていない。その線が当然あるかのような振る舞い。抵抗率のむちゃくちゃに高い空気を無理やり振動させて、それで誰かに何かを伝えることができるという幻想自体が、高慢。それでも、稀に伝わっちゃう瞬間があるということ。そういう瞬間って、たまらんよ。


 楽しいとき何て言う? 楽しいですと言う
 それでいいだろ 言葉なんか

 君に会って何て言う? うれしいですと言う
 あたりまえだろ ほんとなんだ




2月6日(Sun)

 メモのコーナー。昨日は西ノ宮で最終ロケ。痙攣したりしつつも無事クランクアップ。そう、首を絞められて遊んでたら、ちょっとなんか入っちゃったらしくて、僕3秒くらい気を失った。血走った目でヒューヒュー言いながら痙攣してたらしい。見たかった。残念。でも僕には「女の子に首を絞められて痙攣した」という体験が残ったわけであり、こっそりニヤリ。と言っても僕は気を失うとかそういう事件には不自由していなくて、過去にも何度かある。

 あるときは体調不良を押し殺しながら遊び半分で献血したら、腕に針を刺した数秒後にはなんだか急に眠たくなって、まあ暇だし寝て待とう、と思って、気が付くと寝転んでいたはずの体勢から足が上げられ、針は抜かれ、視界はぼやけていて、その視界の端っこで友達が手を握って僕に話しかけていた。看護婦さんも話しかけていた。二分くらいで、状況を読み込んだ。気を失うってのはこういうことなんだな、と思えるようになった。消える瞬間、むちゃくちゃ手足に冷たくなるような痺れるような感覚が走って、それがぞわわっと体の中心に向かって近づいてきて、次にはもう知らない景色。

 首を絞められた後、目が覚めて、その後の感情をなぞるのが無茶苦茶に楽しい。「ああ、飲み会だっけ。いつの間に寝たんだろ。誰の部屋だったっけ。うわ、ぐるぐるする。輪郭しかわかんないな。なんか言ってる。大丈夫?なんだそれ。あーそんな飲んでたっけ。きっとしばらくダウンしてたんだな俺。あ、いや、あれ?違う。えっと。朝か?あかん起きろ!遅れる!あ、いや、違うな。雰囲気違う。どこ。この人たち?と、飲んでたの?飲んでない。あ、あー…。考えるのしんどい。いや、考えようよ、なんか慌ててるし。あー見えてきた。この人、見たことある。何の集まり?あ、映画のやつか。あーわかってきた。うん。そう、朝から撮ってた。そんで、俺寝ちゃったのか。あ、出番だから起こされたの?あ、いや、手足の内側が冷たい。倒れたんか?あ?あー・・・」みたいな。ああ、もう、すっげー分析したいじゃないか。

 あ、そういえばバイク事故のときも、衝突の瞬間から地面にぶつかるまで記憶が飛んでる。飲み会でも一度だけ、完膚なきまでに飛んでますね。一度ではないか。つまらぬのぅ。

 今日は法律に抵触しながら九時間働かされたので、腹いせにハッピーセットの抽選プレゼントの応募セットを40個ほどぱくってきた。ビッグドッグが当たるらしい。全部濁点。当てましょう当てましょう。

 神の力を借りて、一晩でレポートを4つ終わらせた僕は静かに眠りに就くのでした明日は遅刻。

 



2月3日(Thu)

 メガネは俺に含まれるか。

 別に、
 メガネのレンズを見ていただけであって
 あんたを見てたわけじゃないんだよ。

 断じて
 違う。

- - - -

 今日は久々に開放倉庫へ行ったらなんとなくゲームコーナーに吸い寄せられ宇宙の力を感じながらUFOという素敵ゲームを500円で購入してしまったため日記なぞ書いている場合ではないのでした。同時に今は懐かしき「やるドラ」のサンパギータを購入。足しても千円。素晴らしい。UFOを知らない人は予習不足なのでちゃんと勉強しておくように。MOONの第二弾的なゲームです。っていうか気付いたんだけど、未だにPS2を持っていません。あー三色コードってどこに刺すんだっけー。