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1月30日(Sun)

 学校ロケ→堺にて菊池宅ロケ。確かに疲れてるんだけど俺がこんだけ疲れてるってことはスタッフの人たちはもっと疲れてるってことで、幸いにも未だに「しんどー」だの「だるー」だの「ねみー」など言っておらず、今年の目標は比較的達成されていると言える。「さっむー」と「あっつー」は言ったけど、それは単なる感嘆詞として処理されることが許されるだろうと考察する。今日は三人に恋をしたのでありなかなかのハイペース。と言えども最盛期(3秒/恋)に比べればまだまだ赤子。しかし最近の不可恋体質を考えれば驚くべき変化である。環境の変化がもたらした奇跡だろうか。とすればこの撮影が終わったときのことが不安だ。三人のうち二人にはもう二度と出会えないだろうし、残り一人にも撮影が終われば消える連続線であろう。でもとにかく今が素晴らしいのでアッパレ。今さら説明するでもなく僕は極端な刹那主義であるのだけれど、それの半分は嘘なのである。いや、嘘ではない。僕を構成する人格の約半数が刹那主義に対して賛成なのであり、もう半数が何やらもっともな意見を述べているのだけれど、それを聞かないようにしているだけのこと。聞かないようにしていることというのは、その意見が発されているという事象そのものとは無関係である。つまり、聞こうが聞くまいが、意見は発されているのであり、意見というものの大半は相手を丸め込む目的よりも、それをアウトプットすることにより自分自身を再確認する行為であるように思う。俺の意見は俺に影響せず俺を再確認させ俺を納得させ俺を行動へと導く非接点スイッチとなる。物理的な動作ではなく、電流を流すことによりオンオフを切り替える非接点スイッチが、脳の構造にも当てはまるように思える。何らかの外部刺激によって、電流に値するものが流れ、それにより閉回路が構築され、記憶の引き出しがアクセス可の状態となる。我ながらなんて的を得た表現なんだろうと感激しているのだけれど、こんなことぐらい高1の女子高生にだって思い付くだろうし、なんの評価にも値しない。思い付かないのだとすれば、単に、考えていないだけだ。一般的な意味での勉強とは違う。勉強の場合は必要十分条件が成り立たない。今、唐突にこの上っ面だけ難解な文章に嫌気が刺した。俺が本当に殺したいのは俺であり、そして俺は生き残り、しかし次の俺に狙われる。俺Aか、俺Bか、誰が生き残るのか知ったことではないが、それも大きな視点、俺の皮膚の下を1単位として考えるならば、何が残ろうが俺には影響しない。

 今日の恋で、一週間は生きられるような気がした。ふと貴方を思い出し、貴方が何をしているのか想像し、貴方を創造し、貴方でニヤケて、貴方で射精して、眠り貴方の夢を見る。女の子が寝ていると、その隣で眠りたくなる。夢の世界で、逢えるような気がするから。目が覚めると向こうの世界での出来事なんて忘れている。でも、きっと、出会えてるんだろうと思う。そのくらいの救いを創り出すことくらい許されてもいいんじゃないかと思う。と言ってみたけれど、そんなに思ってもいなかったり。許しがなくたって暴走する。背中の棒を引き抜かれて死ぬのも、ぐしゃぐしゃの肉片になるのも、好きな女の子の服の中で死ぬもいいけれど、そう、今考えたら、僕は女の子の匂いの中で死にたいよ。変態丸出し。恋は変態だ。服の中、というのと被っているような気がしないでもないけれど、別に服の中じゃなくてもよくて、脱ぎ散らかした上着だっていいし、なんだっていい。世界一のアルカイック・スマイルを見せてやる。

 せめてものお詫びに、今日は風呂に入りません。




1月29日(Sat)

 今日は西ノ京高校の教室を借りての学校ロケ。書き忘れてたけど昨日は西ノ宮でサエコ宅。メモっとかないと、いつ記憶喪失になるかわかんないからなー、なんて乙一の暗黒童話を読みながら考えてる。こぶしをぎゅっと握り締めて突き出すのは空手の突き方である。ボクシングでは相手に避けられることの方が断然多いので、よりスピードが出る方法が採用される。つまり、こぶしを軽く開いた状態から相手に突き出し、インパクトの瞬間にこぶしを固め、同じスピードを維持したまま同じ位置に戻してくる。向こうにあるものを掴んで来る感じだ。だからなんなんだって聞かれると、別になんだってないんだけど。つまり、なんでもある。その手に何を掴むのだろう。

 書けないので今日はおやすみ。




1月28日(Fri)

 愚痴をこぼすことの必要性を感じたことは?
 まあ大抵の場合、
 愚痴を言わなくたって
 他の誰かが言うんだろうし
 そんなもんにいちいち感応してるほど
 大容量ってわけでもない

 センスを光らせてみせてよ
 ときめかせてみせてよ
 マウスピースを落とした相手に
 蹴り

- - - -

いやそれは無理

   「ねぇ、すぐにザオリクかけてあげるからさ、死んでみせてよ」
   「あー・・・いいよ。」
   「マジ?!やった!早く!早く死んで!」
   「でも自分で死ぬのって難しいからさ、殺してよ。」
   「いやそれは無理。」

- - - -

 愛してるって誰が言う!
 愛してるって誰に言う!




1月27日(Thu)

 あああ悔しい悔しい口惜しや。自分のコントロールのできなさにものすごい自己憎悪しつつも自己憎愛でプラマイゼロなナルシスト。なんで声って思った通りに出ないんだろうね。1/fゆらぎ変調器でも入ってるんじゃないか。

 やっとこさ「沙羅双樹」借りてきました。奈良が舞台の映画。とりあえず特典に付いてた予告編だけ見たんだけれど、なんかもうだめだ。ノックアウトされかけてる。っていうかキンナラ(近鉄奈良駅)が出てくる時点でだめだ。なんで今まで見なかったんだろ。人の繋がりっていうのは不思議なもんで、僕が今撮ってもらってる映画のチームの専門学校が、沙羅双樹の監督さんの出身校であり、僕は実は三年前の夏に沙羅双樹のエキストラに出ていてこれまさに無限ループ。エキストラって言っても写ってないけどねー。雨のシーンなのに、水しぶきすら掛かってないけどねー。沙羅双樹には、思い出が多すぎる。重いのが。リンク件数多すぎでフリーズするのわかってるんすわ。たぶんそれも今まで見るの保留してた大きな理由であろう。過呼吸になりそうだわ。でも今本編がものっそ見たいけどものっそ眠い(ものっそ=ものすごく)。明日は翌朝早起きロケだから見れないし、明後日は翌朝早起きロケだから見れないし、どないせいと。玉砕覚悟で明日見るんだろうけど。期待っていうのは自分からする分には素晴らしいね。涙が出そうだ。明日目覚めることができればいいと思う。眠りっていうのは小さい死で、ならば明日生き返ることができればいいと思う。今日は2秒で恋して5秒で諦めた。もう二時なのでおやすみなさい。




1月25日(Tue)

 今日はバイトがあるのかどうか判らなくて、でも店に電話するのも嫌で、放っておいたら八時に店から電話がかかってきて「お前今どこおんねん?!」。僕はどこに居ますか。ミドル オブ ノーウェア。

- - - -

 脇腹にクリトリスが生える夢を見た
 スースーした

- - - -

 浴槽の中で
 握力の足しにでもなるかな?と思って
 手を握ったり、開いたり
 1000回やってみた。

 でも考えてみるに、
 握力なんて必要じゃないし、
 無駄なものなんだけれども
 僕の大部分は
 無駄なもので構成されておりますので
 体重が増えてくれるかも知れぬと
 陰謀を浮かべてみたりもしましたが
 51.7kg(3kg減)
 12.1%(3%減)
 虫歯になるほどお菓子を食ろうておりますのに
 矛盾で溢れております。世の中。

- - - -

 土曜日までに恋心というやつを取り戻します。
 なんて・・・難しい。





1月24日(Mon)

 撮影中盤。金曜日は新大宮でサエコさん宅玄関前、土曜日は西ノ宮でサエコさん宅、日曜日は堺で菊池家。ありふれた言葉だけれども、映画って大変だね。ほんとに。俺は何もしてないけれども。あえていうならば、タイムマシンで四日前に戻りたい。四日間で、変わったと思う。変われたと思う。後悔もした。この状態でやりたい。すごく悔しい。

- - - -

 俺がサエコさん家の玄関でうずくまってたとき
 きっとどこかの誰かも同じポーズをとっていて
 そのことがいつか、俺を救ってくれるだろうと
 そんな気がしてならない。

 あの夜サエコさんはどうしてたんだろう
 何してたんだろうと
 考えたくもないのに
 回る
 回る
 ぐるぐる回る。

 この疑問には
 疑問符が付かないんだ、
 と、
 根拠もないのに
 自信はあって
 そんなことを考えながら
  明かりを全部消して
   ベッドの中
   気付けばいつものポージング
     もう、全然別のことを考えている
        この暗闇は
        フィルムには写らないだろう
           この声は
           集音マイクでも拾えないだろう

              携帯でロジックパズルを解きながら
                    眠くなるのを待っている
                     あるいは、
                       待っているのは
                         別の何かだろうか
                      何を
                      待っているんだろう
                         でも、ほら
                           もう
                             こんなにも
                                     眠い
                                        ああ
                                          消えてしまう
                                        煙みたいに
                                           湯気みたいに
                                                 消えてしまえるだろうか
                                              眠りに付く直前
                                             何を思う
                                              意識がなくなる直前
                                                    何を
                                                   思う

- - - -

 あれをそれにして
 それをこれにして
 これのここだけかえて
 それでどうなるわけでもないけれど
 夢をみるならでかい
 夢でもみえないなら
 目をとじて心の
 中にある三つの扉を開くのさ一つは
 二つ目に続く二つ目のは
 三つ目に続く三つ目のは
 最初のに戻る
 ただそれだけだった
 同じだった
 わらっちゃった
 別にどこへも行きたくないけど
 別に 行きたくないけど
 別に行きたくないけど
 別に行きたくないけど
 ないけど
 ないけど
 ないけど




1月20日(Thu)

「ねずみのキスって大変そう。前歯が邪魔でさ。あれって、放っておくと下顎突き破っちゃうんでしょ?だから常に何かを齧って歯を削ってるって、誰かが言ってた。ねずみも、キスしたいんだろうな。でも、もしかしたら、前歯が邪魔だからキスをしたいのかな?もしねずみが出っ歯じゃなかったら、もっと住みやすい世の中になってたかもね。」

「チュウ、チュチュウ!(ちげぇよバーカ)」

 と、よくわからない小噺も挟みつつこんばんわ。僕は前歯ぶつけ合うのも好きです。修飾するならば、マナカナのどちらかと前歯をぶつけ合うのが好きです。目的語ですね。構文分析するとどうなるんだろう。と、こういう話題になるのは僕が受験というものを意識し始めたからであり、それはそれはものすごいことなんだけれども、今日は帰り道に偶然逢った某と「ヤヲイに見る民俗学」について電車が来るまで語り合ったからであり、彼女は奈良女子大の文学科に行って比較民俗学を専攻し次世代の柳田國男を目指すそうですが、それにしても寒いですね、高専から文学科というのはオイシくて思わず真似してみたくもなったのですが、そんな勇気があるわけでもなく、やはり大道芸人がいいとこなのかなと思われるのですが、思わず真似をしてみたく、というのは構文分析するには難しく、やはり日本語というものは英語よりも難しいものなのだなと改めて認識してみたりしている次第。思わず、と言っておきながらしちゃってるところなんてなんとも奥ゆかしさを感じさせます。大奥です。風呂敷のようですね。しかし、思わず、というのはあくまで比喩的表現であり、実際に思わないことはしちゃったりできないはずであり、ああ、思えば僕は、思っていることしかやっていない、思わずなにかをやることなんて可能なんだろうか、と思わずにはいられないのであり、人間は思ったことしかしないので、矛盾発見!と小躍りしそうにもなるわけなのですが、ここからも、思わず、というのはあくまで比喩的表現だと言うことが伺えるのであって、悪魔とドライブといえば田口トモロヲ氏が初の監督としてメガフォンを取った作品「アイデン&ティティ」ですが、原作みうらじゅん、脚本クドウカンクロウであるわけですが漢字が判らず、周知の通り僕の本棚には映画のビラ、歌詞カード、雑誌の切り抜きなどが押しピンでランダムに留められており、アイデン&ティティの横には洋画「ブラウンバニー」のミニポスター、それに重なる形で邦画「恋の門」のビラ、視線を下に移せばGoingSteadyのシングル「青春時代」の歌詞カードをバラバラにしたものが暖簾状にぶら下がっており、一つのカオスを成しているわけで、もう存分にカオスってるわけですが、これは僕がわざとこうしたのであり、僕には常々、自分の部屋というものを自分の脳内に置き換え、見立ててみたいという欲求があり、つまるところ僕の脳内がカオスなのだということは秘密なのですが、つまり僕の脳内は同時に外側であり、僕は僕の部屋に居るとき同時に僕の脳内に居るのであり、ということは脳内に内包される形で存在する僕はすなわち脳の外側にいるのであって、しかしそれは同時に僕の内側であり、ああ無間地獄、などという解釈はこれを書きながら考えた出鱈目なのであるが、なかなか気に入ったので今後その方針で行こうと思うのだが君はどう思いますか。

 久しぶりに調子がいいようである。調子がいい、というのは、つまり悪ふざけができるということではなかろうか。悪ふざけというのはつまり余裕である。余裕のある生活を送りたいものである。こういうときはもう疲れるまで無茶苦茶に書きまくって野郎と思うのですが恐らくは読み手にとってはこの上なく理解に苦しく、しかしそれこそが悪ふざけの本質であるので大目に見て頂きたいのですが、大目に見るも何も、もうここまで到達する頃には皆さんは理解を放棄していること請け負いであるので、やりたい放題にやってやろうという魂胆にありますが、やりたい放題というのは少し気にかかるところがあり、かのクレイジーケンバンド横山剣さんが名曲「肉体関係」の中で日本全国津々浦々の肉体関係者に告ぐ通り、淫らな男女関係はうらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・ひがみを伴い、それにしても、そねみって何なんだろう。構文分析してみるに、そねみは曽根見に通ずる。曽根を見る。曽根といえば心中である。つまり心中自殺者を観測するような心境であるということがわかり、つまり構文分析さえ覚えてしまえば大抵の文章は理解できてしまうのである。ブラボー、そしてブラボー。

 そう、あの娘は綾波レイが好きなのである。そして、今までついつい黙っていたのだが、実は僕は綾波レイではないのだ、残念ながら。そして僕は恋に落ちた。フォール イン ラブ。お相手はNumberGirlのギター、田渕ひさ子嬢であるのですが、ちょっと恥ずかしくて言えません、と、ついついうっかりカミングアウト。これこれ検索するでないぞ。近こう寄れ。cute girl don't love me.

 そう、ヤヲイの話が、この日記にオチがないことの複線なのである。明日は撮影である。明後日も、明々後日もだ。そして僕はまた脳内に潜り込む。殺し屋1なら、松尾スズキ氏が好きなのだ。バカボンのパパではないし、もちろんバカボンでもないのだ。

 



1月18日(Tue)

 少し落ち着いた。冷やせ冷やせ。今日の一冊、戸梶圭太「自殺自由法」。大槻ケンヂの「ステーシー」に似てて、なかなか好きな感じ。人の死が、悲しさではなく切なさで描かれているとこらへんが。そうそう、ステーシーは前に某が言っていた「女子高生が鼻血出しまくる感じ」に通じる点があると思うのだが。「十七歳は綺麗」にも。こういう感情ってどっかに根っこがあるのかな。女の子らしい、って言うと語弊があるんだろうけれど、僕にはなかった感情。でもトレースすることはできるし、トレースできればある程度の共感は得られる。今、思い出してみて感じたんだけれど、思い出の中に「死にたい」っていう感覚がない。ああ、あの時は死にたいって思ったんだろうなっていうのはわかるんだけれど、周辺の情報量に比べてどうもぼやけていて。思い出の中に「死にたい」という感情はない。むしろ笑い事だったりする。なんなんだろうなこれは。あ、そう、なんなんだろうなこれって指差して言いたい。薄青白く明滅する浮かんだ球体を指差して「なんなんだろうこれは」って言いたい。その球体は僕の感情で、僕の意識で、僕の本体で、ライトノベル的な形容をするならば、僕のコア。それを、そっくり胸の奥から取り出して、眺めたい。キングオブファイターズっていう格闘ゲームで、名前は忘れたけれどラスボスがいて、そいつが使う必殺技で、相手の胸から魂を取り出すっていう技がある。あれに、憧れた。まあそいつは、その後魂を握り潰して相手に並々ならぬダメージを与えてしまうんだけれど。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」

あああ、ときめきたいったらありゃしねえ。




1月16日(Sun)

 今日は橿原神宮前でお母さん役の人と顔合わせ。もうすげぇしか言えなくなってきた。

 銀杏BOYZのデビューアルバムが二枚同時に発売され、CD屋を3件回って初回限定のステッカーとクリアファイルをゲット。涙を我慢しながらタンスに貼る。ああ、素敵タンス。いつの間にかステッカーだらけだな。俺は俺の嬉しいとこ悲しいとこ楽しいこと辛いこと痛いこと汗血汁涙精液唾涙青春を共にしたお前を離さない。って、思ってたのに、俺の自転車は行ってしまいましたよ!相棒は行ってしまいましたよ。新しい自転車に変わってしまいましたよ。あんなに自転車を手放すことを悲しいと思ったのは初めてだった。手放すときにならないと、手放すことが悲しいと気づけない。いっつもこうだ!さよならだけが人生じゃない。さよならは確かに人生の一部を構成してはいるだろうけれど、それだけなんかじゃない。どう足掻いたって最後にはさよならになるって、知っている。だから何なのか。さよならなんて考えない。そんでさよならになったときに無茶苦茶悲しがる。それに繰り返し、別にそれだっていい。さよならよりも大きいもん残しちゃる。

 ほんとに、全ての童貞をこじらせた人たちに、グミチョコレートパインを読んでほしい。わかんなくたっていい。気力を付けよう。逃げながら戦おう。素敵になろう。迷惑がられながら、おいおい言ってやろう。死ぬつもりでやって、うっかり死んでやろう。たまにゃ銭湯にも行こう。酒にも頼ろう。自転車で競争しよう。話してやろうか聞いてやる。正直言っちゃって死んでんのと同じなんだよ生きてやろう。生きるのは死ぬよりも痛いが死ぬよりも動いてるぞ。このまま終わるの嫌だって言えよ!

 



1月15日(Sat)

 今日は顔合わせ・リハーサルロケで西ノ宮まで出向いておりました。っていうか西ノ宮ってどこよ。西大寺とか西ノ京の親戚?かと思えば検索してみるに神戸方向。とうとう奈良と大阪を行ったりきたりしている僕の生活にロンギヌスの槍が突き立てられるときがきたのですよ。大阪駅での乗換えがわからずに多すぎるホームを何往復もしていたのは秘密。その後は相手役のサエコさんと初対面したり押し倒しかけたり押し倒されたりしてました。体を動かしてみてやっと実感が沸いてきて、今すごいワクワクしてる。なんかすごいもんができそうだよ。セリフを言うことの難しさばかりを気にしていたのだけれど、実際にやってみると動きも相当難しい。セリフになら微妙なニュアンスを込めることとかなんとなくできる感じなのだけれど、自分の体は思うようには動かなくて、困る。あと、相手さんがセリフ言ってる間っていうのも困った。こういう間は台本には書かれないから、といってじっとしてればいいわけではなくて、その場でこうするんだろうと思われることをトレースして誤魔化しているんだけれど、難しい。そして、難しいものは、面白い。エキストラの件、本気でお願いします。

 リンク更新。




1月13日(Thu)

 パソコン届く→FTPのパスワードわかんない→更新停止。っていう状態でした説明終わりー。

 GOING STEADYの唯一の映像作品「君と僕とBEEの★BEAT戦争」とうとう買ってしまいました。正直、衝撃的過ぎて引いた。でも二回見たら、初めよりもっと好きになった。たぶん日映研は、こういう映像こそ規制するべきなんじゃないかなと思う。いや、実際に規制されたら困るんだけれども。毒だ。男にフェラチオされた気分。三日前に買って、三日とも見てる。明日は我慢しよう。

 まあ予想されていたことではあるけれど、学校始まったほうが楽なわけで、それをいいことに目一杯自堕落な生活を遅らせてもらってます。書ける環境が整った途端に書きたいことはなくなる法則発動。




1月5日(Wed)

 今年の目標は「忙しい」「しんどい」「疲れた」等の発言をやめようということでしたが、1日にて失敗。3日坊主にもすら至らない点は評価できる。年越しを挟みながら、一週間で50時間働いてみました。バイト先によっては労働基準法に抵触するから気をつけろ!バイトの疲れでバイク事故の古傷が再び膿み出したりするから気をつけろ!

 そして今日八日ぶりの休日に天王寺でドタキャンされる。待て待て待て待てこんな一年だなんて聞いてないっすよ。仕方なく1人でウロウロしてると、前々から欲しかった、股下が無謀なくらい浅い、というかもうズボンじゃないデザインのタイパンツを見付けて1900円だったので、買う。これ履いて殺陣、特にカカト落ししたい。とか思いながらもエスニック雑貨店のお姉さんに「あ!前のお客さんじゃないすかー!」とか言われて戸惑いつつもお話する。お姉さんと前回いつ会ったのかは、未だに思い出せない。Mioの喫煙所で煙草を吸っていると、誰かが忘れていった買物袋が落ちていたので店員を呼びに行こうと思ったけれど、まあ持ち主は見つからないだろうし余計な歪みを生むだけなんだろうと思ったので、やめた。それが今日の心残り。

 3日は、映画撮影の方の寄り合いに呼ばれて行った。すげぇもん見た。チクチクグサグサ、ドキドキニヤニヤ、そしてンダンダゴリンソだった。監督が方々でこのHPのことを言い触らしているので、個人名を出していいものか困惑してます。なんだかちゃんとしたこと書かなきゃならないような気になるじゃあないか。せっかくなので反抗心に反抗してやろうかと思う。

 ブッ飛んだもんを見せてもらったんで、お返し。最近はこんな感じです。これ大音量で聞きながら電車に乗ると、音漏れしてないかとドキドキする。
 URL→魔ゼルな規犬

 なにかやらかしてやりましょうか。人物設定が欲しい。僕それ考えらんないの。

 「私は泣いたことがないー♪」
 「そうなの?」
 「そんなわけないじゃん」

 なんだこれ。意味不明だ。
 とりあえず適当に人物設定してみよう。

 佐野弘子(17) 普通の女子高生。趣味は

 趣味?趣味って何。あーほら、もう考えらんないじゃん。しかも普通て。こういうときは無茶苦茶やってやった方が上手くいく。気がする。

 佐野弘子(17) エスパー。
 萩野萩尾(17) 殺人犯。佐野の彼氏。


 飽きた。




1月1日(Sat)

 浴槽に漬かりながら年越し。そして年越しカレーうどん。ハイロウズの曲に「カレーうどん」というのがあって、『食べたいな カレーうどん たくさん葱入れ♪』なんて曲なんだけど、それを思い出した。僕の親友のH君が、「前、カレーうどん聴いててさ、そしたらカレーうどん食いたくなって、『カレーうどん食いてー』ってメール送ったら、『じゃあ私作ったろかー?w』みたいな返信来て、んでテスト終わったらカレーうどん食いに行くねん」って言ってたのを思い出した。次にその会話が行なわれていた場の空気を思い出した。現在2005年の自分が、過去の自分をトレースして、重なった。記憶を保存している回路は、電子的には再現できないだろうと思う。それこそ、意図的にバグを撒き散らして、しかもそれを更に内包する形で制御していかないと無理だろう。計算された、それでいて外部からの観測からでは計算されているとは思わせないような不完全さを形成するのは、単に完全なものを作るよりも難しい。そして僕は不完全さを愛しているし、不完全なものにときめく。つまり僕も不完全ってことだし、あるいは平均よりもより不完全なのかも知れない。

 正月早々にこんな雑話をしているのは、暇だから、という一言で表すことができるのだ。初夢は、なんだか切ないものだった。思えば僕はいつも12月31日の夜は夢を見なくて、こんなに初夢らしい、そしてこれが初夢だとはっきり自覚できる体験は初めてだ。見てるときは無茶苦茶楽しいのに、目が覚めて思い出すと無茶苦茶切ないって、そんな夢、判るだろうと思う。何故切ないか、って、その理由の大半が、今この現実では既に失われたものだから、という言葉で説明できると思う。大体そうなんだ。間違いない。正月のテレビは「くだらなさすぎっぷり」が逆に面白い、という趣向すらも超越してくだらない。もしかしたらみんなは、「超越したくだらなさ」っぷりが逆に面白い・・・なんて考えてこのテレビを見ているのかもしれない。僕だけ置いてけぼりになった気分になる。曙は勝ったんだろうか。