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1月27日(Tue)

 ちなみに19はブルースハープが聴きたかったから。19の「あの青をこえて」とか、ゆずの「いつか」とか「サヨナラバス」とか、なんかそのへんのイントロを耳コピで吹けるようになった。ブカブカやってたらなんとかなるもんさね。目標あるよりも、目標とかそんなレベルの概念すら無い方が長続きするもんさ。やたらと目標好きな人っているじゃないすか。俺の目標!みたいな。どこで取り違えたんだろうな。各駅停車でも東京には行けるけど、近鉄じゃ無理。新幹線でもエディンバラには行けない。Googleでもガスクロマトグラフィー法の利点は見つからない。

 aikoのHPで「ほっといてー」が見れました。top→news→一番下のやつ。

 長谷川ゆいが大物になっててビビッた。まじで。委員長というあだ名で呼ばれた女の子は後にAV女優として活躍しなければならない運命にあるのだよ。という偏見と通説と痛切な願い。実は今、治療中の前歯の裏にバッカリ穴が空いてて舌が落ち着かない。来月にはもうパソコン買えるくらいの金は貯まっちゃうわけですが、よくよく考えるとそんなものを置くスペースは無い。片付けろというのか。「部屋片付けするぐらいならパソ諦めるー」とか言い出しそうな勢い。人類は果たして本当に月へ行ったのか。さっきからフラッシュバックが止まらない。もう眠りたい。




1月21日(Wed)

 事の発端は年始にまでさかのぼります。確か年賀メールを送ったときだと思う。拍子でメールが続き、話が「年越したとき何してた?」という恒例の話題へ。ナイナイ見てたー紅白見てたーと。僕は紅白には目もくれなかったんですが、なんかね、aikoが出てたらしいの。友達談『鼻血が出そうなぐらい可愛かった!』これほど紅白見てなかったことを後悔することはもう生涯ないだろうなと思った。前々から所々で言ってますが、aikoはかわいい。これを聞いて「はぁ?aikoってあのアイコマンが?」とか思った人は、別に否定もしないけど僕の中でaikoをかわいいと思えない可哀想な人として可哀想な目で見ます。つーかおまいら、aikoをかわいいと思わないで何がかわいいんだよ?どこぞの某サイボーグでも挙げるのか?とこんな毒吐いても情けないだけなのでやめますが。まあ人それぞれなんだろう。かわいそうに。

 そんな土台がありまして、ここ3日ほど、僕の中のaiko熱は今世紀最大限最高潮最高記録でメーター振り切ってスカウターを破壊しまくってたんですよ。カニ食うときに、身の中になんかスジあるじゃないですか、ミューって出るやつ。自分の背中にあれが入ってて、それがまるで真上に向かってみゅーんって引っ張られてるみたいに脳が鼓膜が毛穴がaikoを欲してた。で、今日組長がCDR焼いてきてくれたんですよね。アルバムにして6,7枚分。で、うっはうっはしてます。聞き切れねぇ。アイコマンすげぇよ。大阪のおばちゃんなのに。オールナイトニッポンで普通に「チンコ!」とか言ってたのに。

 盲点だったのは、初期のアルバム。「花火」「桜の時」。音楽ってのは、以前それを耳にしていたときの思想苦悩を否応無く思い出させる。「眠りにつくかつかないかシーツの中の瞬間は」花火の歌い出しを耳にして、少なからずこれはまずいという感覚はあった。案の定、メロディーが進むにつれなんだか知らないが無茶苦茶つらくなった。ギップルを召喚できそうな言葉を使うと、胸が苦しくなった。くさー。問題は、なんでそうなったのか全然わかんないってこと。花火が世間で流れていたのがいつ頃かだなんて全く覚えていないし、そんなaikoを聞いた記憶も無い。まぁあらかた中2、3の頃なんだろうな。

 そう、修学旅行のゲレンデで流れていた記憶はある。あのゲレンデには誰が一番豪快に転んだかって事と牛丼を食いすぎて吐きそうになった思い出しかないんだがな。おかげで小柳ユキの「あなたのキスを数えましょう」をふとした瞬間に耳にすると、いつも決まってあの雪野原を思い出す。ブリーフ&トランクスの「いしやきいも」も然り。友達がずっと「あなたの傷を数えましょう」って歌なんだと勘違いしていて、それで馬鹿笑いした記憶。高1の頃、修学旅行の話題になって「いしやきいも」のことを思い出し、カラオケで歌ってみたら全然歌詞なんか覚えちゃいなくて、「いーしやーきーいもー」のフレーズをただただ歌いつづけた記憶。こう思うと、記憶ってのは数珠繋ぎになってるんだと実感させられる。兎に角、aikoにダウナーになる要素は思い出せない。実はちょっと目星は付いてるんだけど、思い出せないっていうのは場合によっちゃ良い事だし、きっとそれはそれでいいんだろう。なんにしろ、aikoの声は何故か精神を直接揺さぶる。さっきから揺さぶりっ放し。俺の神経揺さぶられっ放し。いいんだよaikoかわいいから!

 でも黒髪だったときの方が好き。「ほっといてー」とか。




1月18日(Sun)

 イベント無し。金が減っただけ。

 「親猫がね、悪戯で両ヒゲ切られちゃうの。猫ってヒゲなくなると右も左もわかんなくなっちゃうのね。そしてその親猫は愛する元へ辿り着けず、泣くこともせず、ただただ立ち尽くすの」僕がその話を聞いたのは、中学二年生の時分だった。聞かされた当時は特に何の感慨もなかったけれど、その話の筋だけは深く頭の奥に残り、必要に応じて顔を覗かせた。泣きたいのに泣けないときってあるじゃないか。僕はできるだけ親猫のことをリアルに想像する。脳内に悲劇を描く。たまに子猫も登場させたりなんかしてね。まあ上手くいった試しなんかないんだけれども。

 で、結果的に今僕はクエなんだけど、なんとなくそれを試してみたくなったんだよね。泣きたいことなんて何も無いけどさ。クエが何を思って泣くのかっていう考えの結果なんだよ。もしこれが成功したなら、僕はおそらく世界で初めて猫を思って泣いたクエになれるってわけさ。表彰もんさ、ギネスはまず堅いね。もしかしたら以前にそういう物好きなクエも居たのかも知れないけれど、まあそんなことはどうだっていいんだよ。たぶん世界初だとは思うけどね。猫を知ってるクエもそういないだろうから。

 でもそこで問題が突起した。クエに涙腺があるのかってことさ。そこでまず検索してみた。Googleで。僕、これ、ずっとゴーグルって読んでたんだ。恥ずかしい話だよね。今はもうムキになってわざとゴーグルって呼ぶことにしてる。その度に訂正されるんだけど、癖になっちゃってるから仕方ないんだ。むしろこれは実はゴーグルなんじゃないかって気すらしてる。だって普通に読めばゴーグルだろう?ゴ・オ・グ・ルってさ。その結果がこいつさ。役に立たないもんだね。念のため「魚の涙腺」でもググッてみたけど結果は同じだった。「魚 涙腺」だとヒットが出鱈目過ぎて探すの面倒なんだよ。これじゃ泣けないから涙が出ないのか、涙腺が無いから涙が出ないのか分からないじゃないか。困ったもんだよ。こまったさん。こまったさんのクッキー。知ってる?こまったさんのホットケーキ。あーこまったこまった。




1月17日(Sat)

 生乾き:完全に乾いていない状態。半乾き。

 「常識なんて俺がぶち壊してやる」「当たり前なんて大っ嫌い!」と、青臭い定型文は数多在りますが。自分でも最近気付いたんだけど、そういう言葉を聞くとイラつくよりも悲しくなることの方が多い。そういう言葉を吐けるっていうのは、ものすごいことだ。何よりも「常識」という単語を発音できるのが素晴らしい。舌噛み切っちゃいそうだよ。常識も当たり前も、自分の外側には無い。法則ならあるかもしれない。まあ、電車の中で煙草吸ってる人見たこと無いからそれを常識と呼べば常識なのかも知れない。僕は無神論者だけど、ある意味宗教家なんですよ。概念に取り憑かれてる。間違いだなんてほとんど思っちゃいないから、まったく危ない人間だこと。勿論真実で真理だと思っているから、そいつを吐き並べる。常識なんて生温いもんじゃない。察するに、法則と、確率と、概念と、化学反応だ。そろそろ気付いてきただろうけれど、この文には何処にも行き場が無い。

 明日はイベント。

 上手く説明できないけど、僕には僕の特異な感覚が在る。別にそれは自分が特別なんだとかそういうんじゃなくて、誰にでもあるみたいに、僕の感覚っていうもんが在る。僕のそれは、なんて言うか、うねうねしてて、となとなしてる。「魔方陣ぐるぐる」っていう漫画で、グショウキタイ(具象気体?)っていう物体が出てくる。固体じゃなくて気体じゃなくて、粘土みたいなんだけど周りがもやで覆われているような独特の触り心地で、実体は無い。意思を読み取って変化するとか、まあそんな感じだ。そのイメージが頭の中にずっと付きまとっている。たぶんこのイメージは死ぬまで消えないと思う。僕は魔方陣を描く。脳じゃなくて、脊髄で描く。そんで、魔方陣からどばーっとよくわかんないものが出てくる。「失敗しちゃった」ってやつだ。エンターテイメントっていうのは、そいつを形にして表現することだと思っている。前衛的な絵画とか、バレエ経験者の創作ダンスとか、ジャズピアニストの即興とかがそれに当る。ともかく、上手く説明できないんだ。でも、それは、確実に在る。

 イメージ、イメージ。大切なのはイメージ、感覚。例えば曜日について。「火曜」のイメージと「金曜」のイメージが繋がっちゃってるんだ。そう、月曜と木曜も似てる。水曜は独立してる。土曜と日曜は別次元だ。火曜金曜は、尖っていて硬質的でトゲトゲしたイメージ。月曜木曜は具象気体みたいなもくもくしたイメージ。水曜は真っ直ぐな直線。中でも火曜金曜のイメージ的結びつきは余りに強くて、その所為で僕は未だに火曜と金曜をよく言い間違える。

 具象気体の良い例を思い付いた。バナナの身だ。丁度あんな感じ。これで分からないんならまあいいです。僕はやはり感性系の人間なんだろう。そして、感性系の人間がよく使う言葉、「そんな感じ」。自分の持つイメージを他人に説明しなくてはならないことがたまにある。でも、それは感覚が得た具象気体のようなイメージであって、結局は「こんな感じ」としか言い様がないんだ。悩みがあるとすれば、それ。たまーに独自の表現方法を持つ人を羨むことがある。心から羨む。先シーズンやってた「マンハッタンラブストーリー」というドラマで、ベッシー(及川)という振付師が出てきた。彼は踊りによって感情を表現する。彼は言う。「んー…じゃあ踊りで説明するよ!」。周りの人間も言う。「言葉じゃ分からない!踊って!」。 残念ながら僕にはダンスをやる気なんて更々無い。

 人間っていうのは自分のイメージを相手に伝えるために生きてるんじゃないのかな、と思うことすらある。おそらくある世界では真実だし、ある世界ではとんでもなく間違いだろう。でも一つの幸せであることは間違いない。あんたのイメージを知りたい。あんたの世界を知りたい。僕は、目も耳も舌も頭も悪いが触覚は良い。頑丈な敏感肌だと自分でも思う。今、一つ早漏の言い訳を考えた。「僕が感覚系の人間だからだよ」。でもまあこんな言葉を吐けるのはベッシーくらいだ。


おととい買った レコードを聴こう
ねころがりながら ダラダラしながら

今夜も明日も 何もないから
100%くつろげるんだ 背中をのばそう

眠くなったら 眠ればいいし
腹がへったら 何か食べよう
どうにでもなるよ

(THE High-Lows/プール帰り)




1月16日(Fri)

一番忙しい人間が、
一番たくさんの時間を持つ。

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悟りとは如何なる場合でも
平気で死ぬることだと思っていたが、
悟りとは如何なる場合でも
平気で生きることであった。
...(正岡子規)


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恥ずかしいものを持っていないと
魅力にならないんだよね。

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最も偉大な人々は
人に知られることなく死んでいった。
人々が知る仏陀やキリストなんてのは
二流、三流の英雄なんだよ。

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生活は全て
次の二つから成り立っている。
「したいけど、できない」
「できるけど、したくない」

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死ぬ間際に漏らすギャグを
用意しておくべきかもしれない。

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変な言い方だが、
きみが自然にひとに迷惑をかけることが
できるようになったとき、
そしてそれを気にしないようになったとき、

きみは救われる。

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詩は音楽にならなかった言葉。
音楽は言葉にならなかった詩。

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男は女から産まれたから、
結局女に帰る
(Trains Potting)

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のんきと見える人も
心の底を叩いてみると
どこか悲しい音がする。